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尊ばれる自分

01-13,2018

寒の内(8)
昨日、
「児童は、人として尊ばれる」
・ ・ ・ ということについて、
ちょっと書かせていただきました。

ところで、昔の卒業式ですけど、
「仰げば尊し」が、
よく歌われていたように思います。

それで、
「仰げば尊し」に続く歌詞ですが、
「我が師の恩」っていうのが、
私としては、気に入りません。

あの、「子どもが」師を「仰ぎ」、
そして「恩を感じる」ことを、
美徳として奨励する意図を持って、
策略的に作られたような匂いを、
私は感じちゃうんですね。

その歌、メロディーもすばらしく、
とってもいい歌だと思いますけど、
その最初の歌詞をはじめとして、
私には好きになれない言葉が、
他にもでてきます。

それで、子どもが誰かを「仰ぎ」、
そして「尊ぶ」のであれば、
子供自身が「仰がれ」、そして、
「尊ばれる」ってことがあっても、
不思議じゃないどころか、
当然のことだと思う私です。

つまり、当事者の一方だけが、
相手から仰がれ、尊ばれる立場で、
他方は、相手を仰ぎ、尊ぶという、
片務関係になってると思いまして、
そこのところを、私は好みません。
社会生活は、とにかく、
片務的なこととか、
差別的なことがあったのでは、
うまく成り立たないと思います。

それで、今日私が書きたいのは、
児童は誰でも、
「そのように存在する」だけで、
「尊ばれる」ってことなんです。

・ ・ ・ ということは、
児童だけじゃなくって、大人でも、
「尊ばれる」ってことなんですね。

もっと言えば、「私という存在」、
それは、「尊ばれる存在」だと、
そういうことなんですね。

あの、
「私は尊ばれる存在である」って、
そんなふうに自分を感じることは、
尊大な態度ではないってことを、
まず、書いておきたいです。

それは、
自分が「尊ばれる存在」だと、
思うだけでとんでもないって、
そういう感覚の人も、世間には、
多いかなあと思うからなんです。

それで、
続きはまた明日ということに。


人と尊び、自分を尊ぶことの幸福。

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