上村松園と父

11-27,2011

鉢植えプルメリア
好きな人がいるって、ほんとに幸せなことですね。
そして、お母さん、お父さんが大好きだとか、
祖父母、親戚の人々、近所の人々など、
身近なところに好きな人々がいるって、
とても恵まれていることだと思います。

何度かブログに書かせていただいた上村松園ですが、
彼女の文に、父のことを書いたものがあります。
彼女は、父が亡くなった後に誕生したそうですけど、
父のことについて、次にように書いています。
「私は父にとても似ていたそうで、
 母はよく父のことを語るとき、
『あんたとそっくりの顔やった』
 と言われたものです。
 それでとき折り父のことを憶うとき、
 私は自分の顔を鏡に映してみるのであります。
『父はこのような顔をしていなさったのであろうか』
 そう呟くために。」

上村松園が父を知らないことは気の毒ですね。
そして、「父を慕う」思いが強いですね。

それとは反対に、親から虐待を受けて育った子って、
親に対して、嫌悪する感情、忌避する感情など、
非常に悪い感情を心の底に秘めることになり、
それが、子どもの心を破壊し、あるいは毒していき、
そのことが、深刻な問題に発展するように思います。

「心の底に秘める」と書きましたのは、
親に対する嫌悪や忌避の感情というものは、
子ども自身には感じられない場合がありまして、
そこに、問題の根深さがあるように思う私です。

それで、虐待されているのに、
「虐待を受けている」って感じられない理由ですが、
このブログは、その探究が目的ではありませんから、
一言で書きますと、親がいなければ、子どもは、
生きていけませんよね。

それで、自分が虐待されているという認識を持つと、
子どもには、それが致命的となったりするんですね。
仮に、虐待から脱しようとして、親を拒絶するなら、
親の保護を受けることができずに、死ぬしかないし、
たとえ死に至らないまでも、力のないものが、日々、
力があるものに対して「対抗して」生きていくのは、
弱者が強者に戦闘を挑むと同じで、まさにそれは、
「蟷螂の斧」、自ら消耗して自滅するばかりですね。

そんなわけで、事は生死に関わりますから、たとえ、
乳幼児であっても、必死に対処すると思いますし、
残された唯一の道は、自分の感情(心)を殺し、
「虐待」などは受けていないと思い込むしかない、
そんな情況かなあ?と推測するんですが、
続きは、また次回に。

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