楽しく交流

11-22,2017

冬(9)
「他の人との
コミュニケーションを楽しむ」ってのは、
ほんとに幸福なことだと思う私で、
昨日は、ある行事のための準備作業を、
何人か集まって行いましたけど、
そんなふうに「いっしょにする」という、
そのことが楽しいわけでして、
全く別の話なんですが、
社交ダンスについて、ある人がですね、
「コミュニケーションの為の道具」って、
書いてるのを読みまして、ああなるほど、
そういうことなんだと思ったことで、
共同作業であれ、社交ダンスであれ、
要するに「人との交流を楽しむ」って、
幸せなことだと思いました。

ですから、社会生活と言いましても、
他の人との交流が楽しいって気持ちなら、
平和で楽しい世の中がつくれるかなあ、
・ ・ ・ なんて、のうてんきな私です。

さて、インターネット上で、
ある言葉を見つけまして、
私はそれ、ほんとだと思いましたし、
大切な言葉だと思いましたから、
紹介します。

「他人を変えることはできません。
私が私を変えることだけはできる。
私がどう生きるかだけなのです。」
・ ・ ・ あのう、
そんなふうに書いてあったんです。

そして、幸福への道もですね、
「自分で求めていく」ってこと、
それが大切だと思いますし、また、
人に頼って、他人の力によって、
「幸福にしてもらう」という態度では、
幸福になれないんじゃないかなあと、
私は思います。

ところが、不幸というものは、
他人の悪い影響を受けると、すぐに、
自分が不幸になっちゃうんですね。
また、問題を持つ不幸な人と関ると、
自分も不幸になっちゃうってことは、
世の中、やっぱり、「あります」ね。

さて、孫を「完璧に」育てたという、
その女性ですけど、実際はですね、
その孫の態度、行動が、
世間の人からは「すばらしく見える」
・ ・ ・ ということだけでして、
その孫は、極度の不幸だったようです。

なぜかと言いますと、恐怖によって、
まさに「祖母が恐ろしくて」ですね、
「祖母の言いなりになっていた」と、
実態はそういうことだったようです。

つまり、その祖母は、
昔の修身の教科書に書かれてたような、
態度や行動を、孫に「強要」していて、
その強要がですね、まさに「鉄の掟」、
孫がその掟を「守らない」ってことは、
「生きることが許されない」ことで、
孫としては戦々恐々、生きのびるため、
必死に祖母の厳命を遵守する道しか、
生きる道が無かったようなんです。

しかも、小学校用教科書に、
小学生の発達段階に合わせて、
態度や行動について書かれてる内容を、
「幼児」の孫に「強要」してたようで、
やりすぎどころか、残酷そのものだと、
私は思いますし、中国の故事で、
「助長」の話を思い出したことでした。


楽しいのは幸福、恐怖は不幸ですよね。

完璧さの証明

11-21,2017

冬(8)
昨日に続いて、
「完璧な子育て」をしていることを、
世間の人々に「見せつけよう」とした、
ある女性(祖母)の話なんですけど、
彼女は、「完璧な孫の姿」を、
世の中の人々に「見せつける」ことで、
自分の完璧性を証明しようとしたのだと、
その女性の逸話を聞いて、私は思いました。

そのためには、彼女が育てた孫が、
他のどの子に比べても比類なく優れ、
輝くような存在でなければならず、
その女性が子どもの頃には、学校に、
「修身」という科目があったそうで、
その修身の教科書に登場するような子に、
自分の孫を育て上げることによって、
社会的な喝采を得ようとしたようですね。

さてその孫という人ですが、
小学校の6年間を通じて、
学業成績は常に学年トップだったそうで、
残りは・・・ですね、態度と行動が、
模範というか、修身教科書の人物そのもの、
「非のうちどころが無い」のでなければ、
その女性(祖母)は満足できないわけで、
そのために行った「しつけ」というのが、
とんでもないことだったようですけど、
それはまた明日にしたいと思います。


あのう、ダメでも「ありのまま」が幸福。

過剰に敏感な理由

11-20,2017

冬(7)
孫の子育てを「完璧にしている」と、
自慢していた女性の話を、
何度か書いてきた私ですけど、
17日にあるニュースを読みまして、
その女性のことを考えてしまいました。

ニュースの概要を書きますと、
次のようです。
________

海外メディアが驚愕
つくばエクスプレス、
20秒早く出発して謝罪
11/17(金) 11:30配信

「つくばエクスプレス」の列車が
20秒早く出発したことを、
鉄道会社が謝罪した。
このことを海外メディアは
驚きを持って報じている。

11月14日に南流山駅に着いた電車。
午前9時44分40秒に発車するはずだったが、
9時44分20秒に発車してしまった。

同社は「大変ご迷惑をおかけしましたことを、
深くお詫び申し上げます」と
公式サイトで謝罪した。

「ニューヨークの乗客が
決して聞くことがないであろう謝罪」
と驚愕する新聞も

この一件を、海外メディアでも続々と報じた。
地下鉄の遅延が頻発することで知られる
アメリカ・ニューヨークの新聞は、
以下のような表現を用いた。
「史上でもっとも、
過剰に反省された20秒だったのでは……」
(ニューヨーク・タイムズ)

「日本の鉄道会社は、
ニューヨークの乗客が
決して聞くことがないであろう謝罪を出した」
(ニューヨーク・ポスト)
_________

その記事とは全く関係が無い話なんですが、
孫を「完璧に」育ててると自慢した女性も、
針の先ほどの、ほんのちょっとしたミスも、
何か「重大事件」をおかしたように感じて、
「隠そう」としたり、「ごまかそう」とか、
まあ、「世間の目に触れない」ようにと、
そういうことにたいへん気を使う人だとか、
聞いたことがあります。

たとえば、育てている子が乗り物で泣くと、
「子どもを泣かせている」というふうに、
世の中の人から「批判されるんじゃないか」、
と気にして、乗り物から降りちゃう姿を、
見たことがあるという人の話を聞きました。

まあ、それほどまでに、その女性は、
自分に対する「社会的評価」を気にして、
ほんのちょっと自分がミスった程度で、
世の中の人なんか全く気にしないような、
些細な、些細な不手際でも、
自分はひどく糾弾されるのではないかと、
恐怖してたようなんですね。

だからその女性は、自衛の為でしょうか、
「自分は絶対間違わない完璧な人間」を、
必死で演じてたみたいでして・・・

だからこそ、その女性は、
「完璧な子育て」を演出したのだろうと、
私は推測するんですけど。


心に「恐れ」が潜んでると幸福からは遠い。

昨日も幸福な日

11-19,2017

冬(6)
昨日はほぼ一日中、行事に参加した私で、
まあ、いつものことですけど、
いろんな人からたくさんの親切を受け、
また、幸せな心の交流がいっぱいあって、
感謝、感謝ですから、この社会に、
いろいろ不幸なことがあるなんて事実が、
信じられないくらいですけどね、でも、
現実の世の中には、人間関係の不幸が、
数限りなくあるわけで、そうですねえ、
「いつも幸せな環境にいられる」のは、
ほんとに願わしいことですけど、反対に、
「ひどい人間関係」に苦しむ人だって、
世間にはたくさんいるわけで、
今の私は「喜ばしい人間関係」を楽しみ、
うれしい日々が続いてますけど、
「私だけ」うれしく過ごせるならそれでいい、
・ ・ ・ というのではなく、誰もがですね、
幸福だと感じられる世の中になることで、
私自身もまた、
不幸に苦しんでいる人との関わりで、
困った状況に陥るリスクが減ると思うし、
「全部の人が幸福になる道」なんてのが、
あったらいいなあ・・・ってことでして、
不幸の現実を直視するとか、
不幸を脱して幸福に転換する方法を探す、
・ ・ ・ なんてことは、やっぱりねえ、
続けていきたいと思いまして。

あの、不幸に苦しむ人というのは、
悪い影響を周囲に拡散させますから、
誰もがそのあおりを受ける可能性って、
大きいんですよね。

それで、明日はまた、
孫の子育てをした女性の話、
続けてみたいと思います。
不幸に苦しむ養育者というのは、
その悪影響を、強力にですね、
育てている子に及ぼすと思うからです。


幼児期からひどいめにあうと不幸体質に。

真偽は不明だが

11-18,2017

冬(5)
私は相撲に全く疎いのですが、
テレビなど連日、日馬富士関係の話題で、
真偽不明ながら、以下のような記事が、
私の目にとまりましたので、
概略を書きますと次のようです。
__________

「横綱・日馬富士、
“スマホ”きっかけに激高し暴行か」

暴行のきっかけについて、関係者が
「飲み会で
スマートフォンを触っていた貴ノ岩に
日馬富士が激高した」と
証言していることがわかりました。

「日馬富士がしゃべっているときに、
(貴ノ岩が)電話を見たりしていた。
“俺がしゃべっているときに
電話を見て何やってんだ”
“態度悪い”と、それで酔っ払って
殴っちゃったという話らしい」
(元小結 旭鷲山)

携帯を触っていた貴ノ岩に激高し、
日馬富士が突然、
ビール瓶で殴ったというのです。
_________

その話の真偽とは全く関係ないですが、
私はその話をきっかけとして、
思ったことがありまして、それは、
同じようなパターンで激怒する人が、
世の中には少なからずいますね、
・・・ってことなんです。

このブログで日々書いてる女性で、
孫の子育てを「完璧にしている」と、
自慢している女性なんですけど、
その人もまた、世間の人々がですね、
いつも自分に注目し、自分を褒め、
自分が人々から崇め奉られないと、
激しく気分を壊す人みたいなんです。

そういう人ですから、とりわけ、
育てている孫に対しては、
彼女を神様と等しく崇敬することを、
心底求めていたんだろうと思います。

そんなわけで、私が推測しますに、
その女性は、「自分の偉さ」を、
世間の人々から賞賛されたい気持ち、
それが強烈なので、そのため、
「どこにもいないような優秀な子」に、
孫を仕立て上げることに躍起となり、
孫自慢によって自分の偉さを証明し、
「何とすばらしい女性だろう」と、
社会的な評価を得たいというのが、
真実のところだったろうと思います。

つまり、その孫という人は、
養育にあたった女性が、世間の人から、
賞賛される為に使われる「道具」で、
「人格を持った一人の人間」としては、
「扱われてない」ってことでしょうね。

児童憲章に、
「児童は、人として尊ばれる」と、
書いてありますけど、その女性は、
児童憲章とは全く反対の態度で、
孫を扱っていたということでしょう。


「人を尊ぶ」のは、幸福の根本ですね。

生きのびる戦略

11-17,2017

冬(4)
今朝は、起きてみたら霜が降りてました。
「もうそういう季節か」と思いました。
ちなみに、秋霜烈日という言葉、
私としては好きになれない言葉ですが。

さて、
祖母から「恐怖の支配」を受け続けた、
ある人の話を連日書いてますけど、
いくら恐怖が激しくても、子どもは、
養育者から離れて生きることなんて、
絶対不可能ですから、やっぱりねえ、
「適応する」んですよね、生きるために。

大人の社会だって、適応しなければ、
社会集団の中で生きていけない状況では、
人は、自分の気持ちを殺しても適応する、
それはもう、そうせざるを得ないわけで、
しかもですね、乳児の時から、
祖母の「絶対支配」の下で育つとすれば、
その子が「祖母一色に染まる」のは、
当然のことだと思います、私は。

そうなりますと、その子はですね、
自分自身を祖母に「乗っ取られた」状態、
つまり、「自分を失わされる」ことになり、
まあ、体は生きてますけど、心の面では、
「死んでる状態」だったんだと思います。

でも、「生きのびるため」には、
自分の心を殺すっていう適応方法しか、
なかったんでしょうねェ。

ところで、それを別の面から見れば、
祖母は「孫を利用して」生きてるわけで、
その点では、吸血鬼と同じでして、
「他人の血を吸って生きる」ことと、
同じだと思いますね。

ですから、
「ほんとに血を吸う」吸血鬼ではなく、
吸血鬼にたとえられるような人物で、
そういう例っていうのは、
世の中にいっぱいあると思う私です。

今朝は霜が降りましても、
空は晴れてますから、
よい日になると思いますけど、
そういう気持ちのよい日に、
陰惨な話を書いてすみませんけど、
でも、世間にはそういうひどい人間が、
「いる」ってことは事実でして、
そういうことを知ってですね、
吸血鬼タイプの人間からは、
「離れる」ってことにしましょう、
・ ・ ・ と書きたいところですけど、
親とか養育者が吸血鬼タイプですと、
子どもとしては「逃げられない」ので、
その悲惨と不幸はものすごいと思います。

まあ、どうにもしかたありません、
そういう子ども時代を過ごしてきた人は、
成長した後、自分はそんな理由で、
幸福を失ったということを理解して、
感じ方や考え方を修正していく、
・ ・ ・ ということくらいしか、
書けない私です。


幸福に過ごす人と交流すると自分も幸福。

否定される苦しみ

11-16,2017

冬(3)
昨日、祖母に育てられた孫の話を書いてまして、
自分が、所属する社会集団のメンバーから、
否定されるとか、じゃまにされるってことは、
どんなにつらく、苦しいことかと思いました。

今日の私も、ある活動に出かけて、
みんなといっしょに楽しく過ごすわけで、
「喜びのうちに人と交流できる」ことは、
もう「決まってる」ことなんですが、
大人の私でも、集団から受けいれられ、
好意を持ってもらえるってことは、
「うれしい」わけですからね、ましてや、
子どもでしたら、親とか養育者から、
「存在すること」自体が喜ばれ、
愛されるってことをどれほど望むかって、
それはもう、言うまでもないことですよね。

ところが、昨日まで書いてきました子は、
養育者の祖母との心の交流なんて、
あるはずもないわけで、ただひたすら、
「祖母の命令に従う」こと、それも、
「自分の気持ちを押し殺して」、
祖母の「言うがまま」に行動しない限り、
存在すること自体を許されないという、
超厳しい・・・というか、
残酷な境遇にいたようでして ・ ・ ・

さて、世の中には、
子どもを否定するような態度の親って、
たくさんいるんじゃないかと思う私で、
それは、子どもを不幸にすることなので、
幸福への道を探るこのブログでは、
取りあげざるを得ない話題と思いまして。


親などから否定される子は不幸の極だと。

耐え抜いて生きる

11-15,2017

冬(2)
おとといでしたが、Yahoo Japan に、
「女より怖い嫉妬心
"メラメラ男上司"の生態」
・・・という見出しがありましたから、
ちょっと読んでみました。

その中に、次のような一文がありました。
___________

この部長は、やたらと会議を開きたがり、
自分の提案に対して
部下が少しでも批判したり、
反対意見を述べたりすると、
とたんに機嫌が悪くなることがわかった。
そのうえ感情的になって攻撃するため、
部下は賛成するしかないらしい。
結局、会議は部長の提案や意見を
追認するだけの場になっていて、
いわばセレモニーにすぎないわけである。
___________

いやあ、世の中、大人社会でも・・・ですね、
ひどい上司に「従わざるを得ない」ってこと、
あるんですねえ。

ましてやましてや、
乳児の時から育てられた強権支配者の祖母に、
孫が「従わざるを得ない」なんて、
あたりまえすぎますよね。

それで、前に書いたことの続きですけど、
その孫は、祖母のことを恐怖してますよね。

当然、自分を「受けいれて欲しい」とか、
ましてや、「愛されたい」なんて気持ちは、
起こりようがないと想像しますけど、事実、
その孫は、もう小学生の頃から、
「何とかして家を離れたい」というのが、
たった一つの願いごとだったそうでして、
ところがその人、祖母や父も恐れてましたが、
そればかりでなく、世の中の人全員に対して、
恐怖心を持ってたといいますから、
それで彼の唯一の実現不能な夢想は、
「誰もいない世界に行きたい」、
・・・ということだったそうです。

でも、誰もいない世界では、
衣食住が得られませんからね、
生きていくことができない世界だってこと、
「わかっていた」と言いますから、その人、
現実の人間関係をやっとのことで耐え、
ガマンして生きてきたということでした。

まあ、結局、その人が育った環境って、
自分が温かく迎えてもらえないどころか、
存在意義を「否定される」に等しい状況で、
もちろん、「愛が得られる」なんてことは、
もう、絶対ありえないわけですからね、
その人にとってはまさに地獄であり、
ただひたすら「苦しい、苦しい」だけの、
耐え難い人生だったと思いますけど、
今日の私はある行事で出かけてまして、
とっても有意義だったんですけど、でも、
だからといって、
「悲惨な話を書いていけない」ってこと、
ないでしょうし、今日はまた私自身、
「自分が発揮できた」って喜びでしてね、
だからこそ、自分が「迎えられない」とか、
「受けいれなれない」、「愛されない」って、
その苦しみはどんなだろうかと思いまして、
私には想像もできない地獄だろうと・・・

周囲の人々から受けいれられた幸福に気付き。

その孫に問題が?

11-14,2017

冬(1)
昨日書きました「要求しない子」というのは、
自分の欲求を満たしたいという気持ちを、
「自から」否定してますし、さらにですね、
養育者である祖母に対して、
自分を「受けいれて欲しい」という願望を、
完全遮断してますね。

さて、その子にとっての「全世界」は、
まさに、養育者である祖母もいる家庭でして、
乳幼児というものは、
身近な人々と暮らす小さな社会を、
全世界のように感じていると思います。

・・・で、その子にとっての「全世界」は、
欲求が「満たされない」世界であり、
自分が「受けいれてもらえない」世界で、
ですから、その子にとって、この世の中は、
極度に嫌忌する、
苦しみの世界ってことになるでしょうか。
まあ、とにかく、人間社会に対しても、
否定的感情を持つようになったみたいですね。

それで、昨日の話の続きですけど、
その子を育てた祖母は、自分の育児こそ、
世の中のどんな母親さえも足元にも及ばない、
「完璧な」育児だって自慢してたようでして、
ですから、孫の為にはあらゆる犠牲をはらい、
かいがいしく世話をする姿を演技してまして、
「孫の欲求」は、もう120パーセント、
「有り余って」満たしてやってるそうでして、
その理屈から言えば、何も不足が無い孫が、
「○○が欲しい」とか、「○○して欲しい」、
・ ・ ・ なんて、言うはず無いそうでして、
いやあ、全くほんとに、そう思ってる祖母で、
まあ、でもねえ、世間一般の人から見たら、
また、普通の常識から言ったら、養育者が、
育てている子どもの欲求について、完璧に、
常に100パーセント満足させてるという、
そういう情況って、現実にありますか?
「あるはず無い」と思いますけどね、私は。
(だいたい、その必要が無いと思う私です。)

それで、この続きはまた、
明日ということにしたいと思いますが、
ちょっと書いておきますと、
孫の欲求を完璧に満たしてやっているのに、
それでも孫が何か要求をしてくるとしたら、
孫のほうに問題があるんだっていうのが、
その祖母の感覚のようでして。

あの、たとえばですけど、孫がですね、
「おやつが欲しい」と言ったとしたら、
その祖母の感覚では、おやつでも何でも、
充分に不足なく与えている私に対して、
いわれのないいちゃもんをつけてきたと、
それこそものすごい、驚くべき曲解をして、
頭に血が上るような人だったみたいですね。

もちろんその孫は、
祖母のサイコパス性を察知してますからね、
「おやつが欲しい」なんて言うはずもなく、
上記は、私の創作によるたとえ話です。


魔性の人から離れるのが幸福への道ですね。

要求しない子

11-13,2017

秋(52)
昨日は、自分のほんとうの気持ちを、
幼児の頃から押し殺して生きてきた人の話、
書きましたけど、その人は、
小学生になる前から、あることを、
固く固く決心して、その決心に反する行動は、
全くありえなかったと言いますから驚きです。
では、その「決心」とは?

それは、養育者に対しても親に対しても、
何かが「欲しい」と要求するようなことは、
「絶対しない」という決意だったそうです。

ところで、人が社会生活を営んでいく時、
自分は○○が欲しいって言わないばかりか、
欲しい気持ちを表現することもしないなら、
世間の人と対等に関って生きることが、
果たしてできるんでしょうか?
・ ・ ・ って、思ってしまうことです。

それで、その人は、家庭内ばかりでなく、
学校その他、社会的な場面でですね、
「あなたは何を選ぶか」・・・ みたいに、
選択するように言われた場合でさえ、
自分は何を選びたいかということを、
ついに、はっきり言えなかったそうです。

あの、その人、育ててくれた祖母に対して、
「○○が欲しい」なんてことは、
「言ったことが無い」そうでして、では、
なぜ言わないのかってことですが、理由は、
「○○が欲しい」って言うことは、
祖母に対する「反逆の言葉」だそうでして、
では、なぜそれが「反逆の言葉」なのか、
それはまた明日に・・・


健全な心って、ほんと、幸せの条件ですね。

世間向けの顔

11-12,2017

秋(51)
人間社会というものは、「眉唾」の面があって、
まあ、「言行不一致」なんてのは、世の中に、
ありふれてるんですよね。

たとえば、「和をもって尊しとなす」を、
自分のモットーにしているなんて人は、
世間に多いでしょうけど、ある人なんかは、
全くもう「権謀術数」まみれの悪徳の人で、
「和をもって尊しとなす」とは正反対ですが、
自分は「和をもって尊し」で生きてるんだと、
臆面も無く公言してる例が現実にありまして、
これは公開のブログですから、
それが誰なのかは、書くことができません。

さて、孫を育てた女性の話を書いてますけど、
その女性って、「世間向けの顔」はですね、
自分を犠牲にしてまで、かいがいしく世話を、
「孫のために」してるっていうふうに、
「他人の目」からは「見えるように」演技して、
その演技がまた、天才的にみごとだったようで。

それで、まさに「至れり尽くせり」の育児で、
孫にとっては「天国のような」毎日ですから、
その孫に、「不満」なんて「あるはずも無い」、
・ ・ ・ わけなんです。

その、「不満があるはずも無い」ってとこが、
まさにポイントでしてね、その孫というのが、
「不満な顔をする」なんてことはまさに皆無、
だいたい、祖母の「完璧な育児」を受けて、
うれしさと喜びに満ちあふれる毎日ですから。

あの、それ、日々うれしさと喜びにあふれる、
その態度は、実は実は、幼児の頃からですね、
その人が「命がけで必死に」、
自分のほんとうの気持ちを押し殺してですね、
「演技してきた」っていうことを聞きまして、
ため息がでるほど驚きですけど、また明日に。


自分の素直な心で生きられることが幸せです。

都合のよい存在

11-11,2017

秋(50)
このブログに、不幸な人の例を取り上げながら、
やっとわかってきたことがありまして、それは、
「他の人」というのが、
「自分にとって都合のよい存在」でなければ、
ガマンできない人っていうのが、世の中には、
現実に「いる」んだってことなんです。

あの、でも、そういう願いがこの社会において、
実現するとは、とても思えませんよね。

・・・ですから、そんな願い(本心)ってのは、
心の奥深くに封じ込められて、その人自身も、
「自覚できない」ことになってると推測します。

そういう推測ですが、孫を育てた女性の事例を、
連続してこのブログに書いてるうちにですね、
しだいに気がついたことでして、その女性は、
世間一般の人々がみんな、自分にとって、
「都合のよい人」でなければならないなんて、
普通に理性があるため、考えもしませんけど、
孫を前にするとですね、そういう本心、つまり、
他人は自分にとって100パーセント、
「都合のよい人間」でなければならないし、
さらに、他人は「私の欲求を満たすべきだ」、
・・・っていう思いが、心の根底に、強固に、
しっかりと根付いていたんじゃないかってこと、
私は想像しました。

でも、現実の社会生活では、
そういう本心をあらわにしたら非難を受けて、
自分の立場が悪くなりますから、その本心を、
徹底的に「押し込めて」、それで、
「自分でも気付けない」ほどになってると、
私は思ったことでした。

ところが、孫を育てる立場になりますと、
乳児の孫に対しては、その女性は絶対的で、
「神のような立場」というか、とにかく、
「全知全能」の「超越的存在」ですから、
「育てられる立場」の孫は、もう決して、
養育者の女性を侵すことなんてできません。

それで、その女性は、「孫に対しては」、
「何の心配も遠慮も無く」、自分の本心を、
思う存分に発揮できたんだと思うことです。

あの、その女性に育てられた男性ですけど、
世の中で生きていけない人になりましたが、
理由は、その男性の心の根底に、
人間というものに対する恐怖、そして、
社会に対する嫌忌が強烈にあってですね、
「人」からも「世の中」からも逃げるしか、
生きのびる道が無かったんじゃないかと、
まあ、私はそんなふうに考えるんですけど、
せっかくのすばらしい土曜日に、
ひどい話を書いて申しわけありません。

・ ・ ・ で、最後にですけど、幸福な人は、
自分以外の周囲の人がですね、
「自分にとって都合のよい存在」でないと、
ガマンできないなんて絶対にありえないし、
だいたい、そういう心情が「理解不能」だし、
いやあ、ほんとに、「何言ってるの?」って、
不思議だと思います。

ですから、他の人が、自分にとって、
都合がよい人であることを望むこと自体が、
深刻な心理的問題を抱えてるってことで、
まあ、この話、明日も続けます。


相手を尊重できることは、幸福の条件ですね。

魔人的心理操作

11-10,2017

秋(49)
今日も晴れて暖かく、おだやかな日で、
また、私は楽しく行事に参加できましたし、
うれしくもありがたいことですけど、でも、
不幸の原因を考えて、今、苦しい人が、
ひどい心境に陥った理由を知ることにより、
幸福を目指すってことも考えてまして、
以下、嫌な話題ですが、昨日の続きです。

相手のために「犠牲になってる姿」をですね、
「わざと」演出して相手に罪悪感を持たせ、
結果として、自分の横暴を相手に認めさせる、
・・・っていう手法が世の中にはありまして、
昨日話題にしました女性は、育てている孫に、
同じ手口を使って孫を完全支配したんだと、
私には思われるんですね。

そういう手口が成功するためには、
「孫の資質」が重要でして、相手を思いやる、
寛容で優しい心の持ち主でない孫の場合は、
そういう魔の手口が通じないというか、
もう、最初から不可能だと思うことです。

あの、「聞き分けのない子」っていうタイプが、
世間にはいっぱいいますけど、そういう子は、
養育者が自分の「犠牲になってる」なんて感覚、
全くありませんで、「自分を主張」しますから、
そういう子に対しては「通じない」手口ですね。

まあ、続きは明日にしますけど、
大人の社会もですね、心が優しく温かい人ほど、
詐欺に引っかかったりする傾向がありまして、
「私はあなたの犠牲になって尽くしている」とか、
そういうフリをして、
相手を心理操作しようとする人なんてのは、
ずいぶん深く魔境に入ってると思いますけどね。

それで、自分に利を得るために悪魔の手口を使う、
それは、成功することも多いと思いますけどね、
それと引き換えに、幸福を失ってるんですよね。

ですから、「相手を操作しよう」と考える人は、
その人自身、「さらに不幸になる道」を、
自ら選択してるわけですけど、
操作される相手はもっと不幸なわけで、
不幸を与えたり与えられることは、
ほんとにもう、おしまいにしたいものです。


幸福を目指す人は、魔から離れることが必須です。

責任を果たす

11-09,2017

秋(48)
「責任を果たす」って、社会的にはですね、
すごく良いことのように言われるでしょうけど、
でも、現実の世の中っていうのは、
魔境のような側面もありまして、
本来「責任が無い」ことであるにもかかわらず、
「責任がある」みたいに「感じさせて」ですね、
相手に「責任をとらせる」という形で、
実は、相手から略奪するという悪魔の手法を、
「日常的に」行う魔人がいまして、その魔人が、
「慈愛あふれる人格者」を装ってる事例もまた、
世間には数多いんですよね。

いやいや、このブログ、すごいことを書きますが、
でもそれ、世の中の現実、事実でして、実は、
世間によく見られる・・・というより、
家庭生活の中でそういう魔性の行為が行われる、
・・・ってことも「ありふれて」るんですよね。

それで、このブログに4日に書いたことですが、
ある女性が孫の育児をすることになりまして、
孫に対して、あれしてはダメ、これしてはダメ、
ああしなさい、こうしなさいと強権支配を行い、
四六時中付きっ切りで命令していたってことで、
それねえ、世間の人の目から見た場合、
「自分のことを差し置いてまで、こまごまと、
孫に愛情をかけて世話をしてる」というふうに、
まるで「実情とは反対」に映ったみたいでして。

あの、それで、「自分を全く犠牲にして」、
孫育て一筋に生きた女性に対して、その孫は、
彼女に対する「恩を返す義務と責任がある」、
・・・みたいにですね、「思わされた」と、
そこが、今日書きたいことのポイントでして、
あのう、話が複雑になりましたから、
今日はこのへんで打ち切り、また明日です。


相手の心を操縦、支配するのは、不幸の極だと。

クイズの答え

11-08,2017

秋(47)
昨日のクイズの答えですが、正答は(3)です。
その人、子どもの頃、とても協調性に富んで、
社会性が身についてる・・・って書きましたが、
それは、「外見が」、つまり「見た目だけ」が、
社会に適応してるように「見えただけ」でして、
実は実は、その人、世の中に対して、
嫌悪感どころか、反感がすごかったみたいで、
でも、そういう本心を、
「押し隠してた」ってことなんでしょうかね?

まあ、とにかく、いくら匿名のブログでも、
現実に今生きてる人について書くことは、
はばかられますからね、実際にどうなったか、
それは書くのを控えますけど、言えることは、
あまりにも不幸な人生になってしまったという、
そのことだけは書いておきたいわけでして、
それもですね、その人が悪かったからじゃなく、
その人の不幸の原因は、ほんとに全部が全部、
その人の養育者とか家族なんかにありましてね、
それで、世間には、その人と全く同じように、
「自分は全く悪くない」のに、ひどい親とか、
まあ、そういう環境、境遇に育ったゆえに、
一生を台無しにしてしまったっていう人が、
いっぱいいまして、私が知ってる人の中にも、
実際に何人もいるという現実を見まして、
そういう人々が絶望から立ち直るためにも、
その人自身が悪いんじゃないということを、
「知ってもらいたい」と思いまして、
そういう理由で書いてる面もあるブログです。

まあ、世の中、悪魔が善人の仮面を被るのは、
よく見られることでして、だからこそ、
極悪非道の人が善人を騙す詐欺行為ってのが、
頻繁に起こってるわけなんでしょうけど、
悪人のほうがのうのうと世の中にはばかり、
悪人に「やられた」人のほうは、
自分に非が無いのに自分を責めて不幸になる、
そういう事態は嫌だと思いますから、それで、
このブログを書かせていただいております。


自分は悪くないのに悪いと思わされる不幸が。

今日はクイズです

11-07,2017

秋(46)
5日にこのブログに書いた超「良い子」ですが、
彼は、どのような大人に成長したでしょうか?
・ ・ ・ というのが今日のクイズです。

その「超良い子」が、
どんな育てられ方をしたかということは、
4日にもちょっと書いてますけど、では、
次の(1)~(3)のうちどれでしょう。

(1)子どもの時から聖徳太子のように聡明で、
   大人になってからも聖徳太子のように、
   社会に貢献する仕事に邁進している。

(2)「十で神童、十五で才子、
    二十過ぎればただの人」
   ・ ・ ・ ということわざのとおり、
   世の中には、将来を期待されながらも、
   寝ぼけたような人生を送る人がいるが、
   その人も、同じようになってしまった。
   
(3)寝ぼけた人生どころか、人と交流できず、
   社会性が損なわれ、世間に通用しない、
   奇矯で「困った人」になってしまった。

では、その答えはまた明日に。
なお、今日の添付写真は、
麩饅頭とコスモス一輪ですけど、その麩饅頭、
おいしかったです。


今日は、晴れて暖かく、爽やかな日で幸福感が。

世間って何?

11-06,2017

秋(45)
今日は、いきなり結論ですけど、
「自分にとって都合がよい他人」であることを、
相手に求める、さらに「強要する」なんてのは、
人としてやってはいけない極大の犯罪だと、
私は思いまして、「犯罪」と言いましても、
刑法で言う犯罪とは違う意味で、
それは「人の道」ではなく、「悪魔の道」だと、
まあ、私としてはそんな感覚なんですね。

ところで、数日前のこのブログに、
「黒染め強要で不登校」
生まれつき茶髪の女子高生が提訴、
・・・という新聞記事のことを書きましたが、
その事件に関して、ある人が、
インターネット上にこんなことを書いてました。
___________

今回の件に関与した教師たちは、
法の裁きを受けるべきである。
民事ではなく刑事だ。
髪染めを強要したのだから強要罪、
髪染めを強要したことにより
薬で皮膚を痛めたのだから傷害罪。
あとは数々の暴言による侮辱罪。
適用できそうな刑法はいくらでもある。
それらの行為によって実際に女生徒は
学校に通えなくなったのだから、
刑事罰を問うに十分な被害が出ている。
_____________

上記のように書いた人がどういう人なのか、
私は全く知りませんけど、でも、
髪の黒染め強要事件っていうのは、
そんなふうに言われても当然と思いました。

しかしまあ、今の日本社会って、
「どうなってるの?」って感じでして、
髪の色が黒くないってのが生まれつきで、
その人の責任じゃないのに、
学校が「染めろ」と強要する事態に発展し、
それは、「世間」というものの意向だと、
そういうことなんでしょうかねェ?

でも、「強要した」のは、「世間」という、
とらえどころがないものじゃありませんね。
つまり、「世間」って言われるものは、
「実態があやふや」って面があるんだと、
私には思われまして、ですから「世間」は、
その女子生徒に「強要」が不可能でしょう。

それで、実際に「強要をした」のは教員で、
府立高校での事件ですから、「公務員」が、
生徒に対して強要行為をしたということで、
そうすると、「世間」に対する配慮なのか?
・・・そのへん、判然としませんけど、
世間を気にして生徒を痛めつける学校とか、
世間を気にして子どもを虐待する養育者って、
やっぱり、現実の社会には、
いっぱいいるのかもしれないと思いますから、
明日は、ある女性から、
「超良い子」に育てられたという孫の話、
続けて書いてみたいと思います。


「世間」でなく、「自分」を大切にして幸福。

超 「良い子」

11-05,2017

秋(44)
昨日のブログに、
世間のどこにも見られないような、
超すばらしい子どもってこと、書きましたけど、
その子はとっても素直な子で、まあ、とにかく、
「人に迷惑をかける」行動なんか皆無だそうで、
世の中で生きるのに理想的と言われる性質を、
全部持ってるみたいでして、人に反発するとか、
他人を悪く言うなんてことは絶対にしないし、
相手の行為に「裏がある」なんて勘ぐることは、
その子は決してしませんし、いつもニコニコで、
誰に対しても険しい態度や表情を見せませんし、
従順だし、協調性があるし、言い訳なんかせず、
とにかく、よく「言うことを聞く」って具合で、
社会性が身についてる子の見本みたいなもので、
ですから、その子を育てた女性の株が、
上がるばっかりだったようですね。

ところでその子、小学生になりましたら、
常に、その「常に」ってすごいと思いますけど、
学業成績が学年トップだったそうでして、
その女性は、家に来る人来る人、
ほんのちょっとした用事で訪問した人にまで、
まあ、孫自慢、孫自慢、孫のすばらしさを、
滔々と語って聞かせたってことで、その女性、
ますます「世間に知られる」ようになって、
それで私もまた、昔のことですけど、
その人のうわさ話を聞かされたことでしたが、
この続き、また明日にしたいと思います。


見かけは良いが、内実は不幸ということがあり。

ある信念の女傑

11-04,2017

秋(43)
うれしい、楽しいっていうのは、
とっても幸福なことなんですけど、
世の中には、そういうことには、
全く価値を見出せないタイプの人って、
いるようですね。

さて、最初に、今日の結論を書きますと、
昨日話題にした女性は、
孫の育児をするハメになったんですけど、
その育児法っていうのがですね、
あれしてはダメ、これしてはダメ、
ああしなさい、こうしなさいと、
専制君主も遠く及ばない強権支配で、
しかも、四六時中孫に付きっ切りで、
命令の言葉が雨霰だったということで、
それが、子どもにとっては、
不幸の源だってことなんですけどね。

さて、一旦、全く別の話を書きますが、
信念を持って子どもを教育する人って、
世間にはいっぱいいると思いまして、
次のような考え方もあるということで。

子どもには、がまんすることや、
耐えることを教える必要がある。
子供は、人間の形はしていても、
本質的には動物なので、
親は子供の欲望を管理すべきで、
食事でも、こどもが「嫌」と言った時、
別の物を出してやるというようなことは
絶対にしてはならない。
それでは際限が無くなるからであって、
子どものわがままを増長することになり、
偏食のもとになる。
そういう場合、その料理を取り上げてしまい、
代わりは無しとし、しかも次の食事まで、
一切無しで、間食も無しである。
子どもが泣こうがわめこうが、
一度引っ込めたら断じて出さない。
育ち盛りの子どもは、空腹が一番辛い。
従って、そういう事態は
二度と起きないことになる。
更に言えば副次的効果として
子供たちがほとんど何でも食べる。

さて、信念を持って子どもを教育する事例は、
これくらいで打ち切りまして、話を元に戻し、
最初に話題にした女性のことなんですけど、
孫育ての方針が終始一貫してましたようで、
「こうすれば良い子に育つ」という理想を、
ほんのわずかでも崩すこと無く、まさに、
「鉄の意志」を貫徹した女傑だったみたいで、
そうしましたら、まあ、
何ということでしょう・・・その孫は、
世間のどこにも見られないような、
超すばらしい子どもに育ったそうでして、
人間社会、そういう子育てができるなら、
どうしてこうも問題が多発するんでしょう?
・・・って言いたくなりたいほどですけど、
あの、世の中には、
「眉につばをつけたほうがいい」女性もまた、
いたりすることですから、続きはまた明日に。


人間関係が楽しくないのはすごく不幸ですね。

評判をとるため

11-03,2017

秋(42)
以下は、ある高校ですが、校長先生のご挨拶、
それがインターネット上に公開されてまして、
そのご挨拶から、一部分を引用いたします。
なお、「○○○」の部分は高校名なんですが、
伏字とさせていただきます。
_______________

○○○は、生まれ変わった。
そう地域の方々に
言っていただけるようにとの思いで、
この6年間頑張ってきました。
遅刻を減らし、頭髪や服装、
あいさつ等のマナーもきっちりした
爽やかな生活習慣を身につけた高校生をつくろう。
そういう思いで、
教職員一丸となって取り組んできた結果、
この6年間で遅刻数は、10分の1になり、
欠席数も激減しました。
ほとんどの生徒が次の学年に進級し、
明るく学校生活に励んでいます。
_______________

それで、次は突然、全く別のことを書きますけど、
ある女性の話なんです。

その女性には生まれて間もない孫がいまして、
でも、息子の妻が「できの悪い」人間で、
孫を連れて実家に帰ってしまいました、
・・・って、まあ、表向きはですね、
そういうことになってますけど、世間の人は、
「嫁いびりに耐えられなくて」逃げ帰ったと、
ほんとの事情を知っていたということでした。

その孫って、男の子でして、
その女性は「立派な家柄」を自慢する人で、
しかも、「昔の考え方」を重視してまして、
ですから、男の子は「家の跡継ぎ」ってわけで、
息子と離婚した元妻のところに息子を行かせ、
孫を連れ帰らせたということです。

さて、世の中には、「外聞」ということを、
異常に気にする人がいるようですけど、
その女性の家族がまさにそうだってことで、
彼女の息子もまた、母とそっくりのタイプ、
自分の家や家系が、そして、自分たちが、
社会的に尊敬されたいって気持ちが強烈で、
必死になってる本心が「見え見え」でして、
結局、孫を母親から奪い取ったいきさつ上、
その女性が孫を養育することになりましたが、
「嫁を追い出した姑」という不名誉挽回の為、
「すばらしく孫を育てた」評判をとりたくて、
じゃあ、どういう育児をしたかということは、
また明日ということに・・・


他の人との交流に喜びを感じられるのが幸福。

評判を良くしたい

11-02,2017

秋(41)
以下は、ある高校ですが、校長先生のご挨拶、
それがインターネット上に公開されてまして、
そのご挨拶から、一部分を引用いたします。
なお、「○○○」の部分は高校名なんですが、
伏字とさせていただきます。
_______________

○○○は、生まれ変わった。
そう地域の方々に
言っていただけるようにとの思いで、
この6年間頑張ってきました。
遅刻を減らし、頭髪や服装、
あいさつ等のマナーもきっちりした
爽やかな生活習慣を身につけた高校生をつくろう。
そういう思いで、
教職員一丸となって取り組んできた結果、
この6年間で遅刻数は、10分の1になり、
欠席数も激減しました。
ほとんどの生徒が次の学年に進級し、
明るく学校生活に励んでいます。
_______________

それで、次は突然、全く別のことを書きますけど、
ある女性の話なんです。

その女性には生まれて間もない孫がいまして、
でも、息子の妻が「できの悪い」人間で、
孫を連れて実家に帰ってしまいました、
・・・って、まあ、表向きはですね、
そういうことになってますけど、世間の人は、
「嫁いびりに耐えられなくて」逃げ帰ったと、
ほんとの事情を知っていたということでした。

その孫って、男の子でして、
その女性は「立派な家柄」を自慢する人で、
しかも、「昔の考え方」を重視してまして、
ですから、男の子は「家の跡継ぎ」ってわけで、
息子と離婚した元妻のところに息子を行かせ、
孫を連れ帰らせたということです。

さて、世の中には、「外聞」ということを、
異常に気にする人がいるようですけど、
その女性の家族がまさにそうだってことで、
彼女の息子もまた、母とそっくりのタイプ、
自分の家や家系が、そして、自分たちが、
社会的に尊敬されたいって気持ちが強烈で、
必死になってる本心が「見え見え」でして、
結局、孫を母親から奪い取ったいきさつ上、
その女性が孫を養育することになりましたが、
「嫁を追い出した姑」という不名誉挽回の為、
「すばらしく孫を育てた」評判をとりたくて、
じゃあ、どういう育児をしたかということは、
また明日ということに・・・


他の人との交流に喜びを感じられるのが幸福。

世間を重視

11-01,2017

秋(40)
「黒染め強要で不登校」という新聞記事に関して、
今日、書くことを予告してましたけど、
インターネットには BBC News も掲載されていて、
その英語記事では、標題が、
Japan teen 'forced to dye hair black' for school
だそうですけど、日本語に訳して、
「日本の女子高生、
学校から『髪を黒く染めるよう強要』
・・・となっていました。

その記事、概略は次のようです。
________

日本人の女子生徒(18)が、
生まれつき茶色い髪を黒く染めるよう、
学校から繰り返し強要されたとして、
大阪府に対し損害賠償を求める訴えを起こした。

日本の複数報道によると、
大阪府内の公立高校に通っていた女子生徒は、
生徒の髪色を黒と定める校則に従わわないなら、
退学するしかないと言われていた。

報道によると、髪の染料のせいで
女子生徒の頭皮と髪は痛んでしまったという。

府立懐風館高校は、生徒の髪染めや
脱色を禁止するための校則だと説明している。

女子生徒の母親が高校に対し、
生まれつき髪色が茶色いのだと
説明していたにも関わらず、
指導があったとされる。
生徒は昨年9月から登校していないという。

生徒は約220万円の損害賠償を求めているとされる。
地元メディアによると、府側は裁判所に対し、
請求棄却を求めている。

日本の多くの学校では、頭髪や化粧、
スカートの丈など、
外見について厳しい規則がある。

今年4月の朝日新聞調査によると、
東京の都立高校の6割近くが
髪の毛が茶色い生徒に対し、
幼児期の写真などを出させるなどして、
生まれつきかどうかを見分けるための
「地毛証明書」を提出させていることが分かった。

朝日新聞によると、少子化が続く日本で
新しい生徒を呼び込む競争が激化するなか、
「生活指導をきちんとしていることを
保護者や生徒にアピールするねらいもある」
という。
____________________

今の日本社会って、どうなってるの?
・・・というのが私の感想なんですけど、
まあ、世の中、
「自分には何の落ち度もないのに、
それでもひどいめにあわされる」って事例は、
数限りなくあるものでして、そういうのは、
みんな不幸の原因なんですけど、
その記事で気になりましたのは、
「生活指導をきちんとしている」って文章で、
「世間の目」を気にする心情っていうのが、
「ものすごい」、いや、
「超、超、すごすぎる」・・・と思いました。
なにしろ、人権侵害なんてことは意に介さず、
「世間」を気にするんですから・・・


人を大切にすることが幸福の基盤と思います。

閉鎖空間

10-31,2017

秋(39)
Yahoo Japan を見てましたら、見出しが、
「日本の学校から『いじめ』」が
絶対なくならないシンプルな理由」、
・・・という記事がありましたから、
標題に釣られて読んでみました。

書いたのは、明治大学准教授で、
いじめ問題研究の内藤朝雄という方のようで、
その記事の中で、次のような文章が、
私の目にとまりましたから紹介します。

「学校であれ、軍隊であれ、刑務所であれ、
外部から遮断した閉鎖空間に人を収容し、
距離をとる自由を奪って
集団で密着生活をさせれば、
それが悲惨で残酷な状態になりやすいのは
理の当然である。」

そんなふうに書いてあったんですけど、
私は、その文章を「家庭」に適用すれば、
家庭は「外部から遮断された閉鎖空間」、
・・・という特殊性がありますから、
家庭内で虐待が起こりやすい理由が、
良く理解されると思いました。

この世の中、家庭内での非情な行為って、
ずいぶんあると思いますけど、それは、
一般の社会から隔絶された特殊空間だから、
とても「起こりやすい」んだと思いました。

まあ、世間一般に、家庭というものは、
「良いもの」という認識があるでしょうけど、
「閉鎖空間」だからこそ、
いったん、ひどい人間関係が始まると、
「どうしようもなくなる」ってこと、
あると思うんですね。

それで、韓国ドラマ「火の女神ジョンイ」で、
李江天という父親は、一人息子の睦道を、
かんじがらめに縛っちゃうんですよね。

それ、睦道の「人としての尊厳」を認めず、
自分の「思いどおり」に息子を操縦するという、
そういう父親ですから、息子の睦道は、
一人の人間としての「人格」なんか、
全く認められてないんですよね。

ところで、「黒染め強要で不登校」
生まれつき茶髪の女子高生が提訴
・・・という標題の新聞記事を見ましたから、
明日はそのことについて書いてみたいです。


人を尊重することは、幸福の為に不可欠ですね。

自分自身を生きる

10-30,2017

秋(38)
韓国ドラマ「火の女神ジョンイ」に登場する、
李江天という男は、地位も名誉もありますけど、
それでも、自分の人生に大不満であることは、
ドラマを見ていてわかります。
あのう、世の中には、李江天同様、
世間的には立派な人と見られていたり、
社会的には成功をおさめていても、なぜか、
心の中は「不満でいっぱい」っていう人、
いるみたいですね。

もちろん彼は、経済的にも不足が無いわけで、
でも彼は、「人生を楽しめない」んですよね。
どうしてでしょう?

昨日このブログに書きましたように、彼は、
「自分自身のことが好きになれない」と、
私は思いまして、それが彼の、不幸の源では?

そして、「自分のことが嫌い」な人間が、
親となった場合、自分の子を好きになれるか?
・・・って言いましたら、私は、
そういうことはないだろうと思います。

ところで、李江天の息子、睦道なんですけど、
父の「言いなり」にならなければ許されない、
厳しい人生を生きる運命なんです、ドラマでは。

つまり、彼は、「自分の気持ちを殺して」、
父親の欲求とか、父親の都合を満たすという、
絶対の使命を負わされてる人間なんですけど、
あの、そういう状況こそ、不幸の極みだと、
私は思うんですけど、そういうことについては、
また明日にしたいと思います。

それで、幸福というのは、最低限、
「自分自身を生きること」ができるという状況、
それは、幸福にとって不可欠なことだと、
私は思いますから、たとえばですね、
昔の日本で言うなら「若君」に生まれたり、
「お姫様」に生まれたら幸せかといえば、
そんなことはなくって、「若君」がですね、
殿様になるための修養ってわけなんでしょう、
「守役」なんかの、先生のような立場の人から、
ああしなければならない、
こうしなければならない、
あれはダメ、これもダメっていうふうに、
がんじがらめの教育を受けたような例だって、
あったと思いますし、姫君でしたら、将来、
政略結婚の「道具」となる立場ですからね、
教育係から厳しくしつけられるってことは、
あったでしょうね。

そんなわけで、若君も姫君も、
庶民が空想するような「理想の生活」なんて、
「あるはずもない」というのが実態だろうと、
私は思います。

あのう、ですから、
世間からは「うらやましがられる」立場でも、
「幸福でない」例はいっぱいあるわけで、
結局、幸福であるために必須の条件は、
「自分自身を生きることができる」という、
まず、その条件は、絶対外せないでしょう。


貧でも鈍でも、自分自身を生きられたら幸せ。

パパの重大問題

10-29,2017

秋(37)
JAF会員に届くジャフメイトという雑誌ですが、
会員の人が読まずに放置してたのがありまして、
最新の11月号をちょっと手にとって、
別府温泉の記事なんかを読んでたんですけど、
クルマとかドライブ関係とは異質の記事があり、
「自分を好いてくれる人は
全然好きになれないけれど、
自分が好きになるのはいつも、
決して振り向いてくれそうもない人ばかり。」
・・・って文字が目に留まりましたから、
その全文を読んでしまいました。

まあ、世の中に不幸な人がたくさんいることは、
私もわかってるつもりでしたけど、
そういうタイプの不幸はものすごい気の毒だと、
ほんと、思いまして、雑誌の持ち主は女性で、
車やドライブには興味が無いんですけど、
通勤の時などに車が故障した場合を考えて、
JAF会員になってるだけで、
雑誌は捨てちゃうということでしたから、
11月号をもらってきました。

さて、自分を好いてくれる人のことを、
全然好きになれないっていう人のことについて、
おおよそ次のように書いてありましたから、
概要だけを紹介します。
__________

自分が自分自身を好きになれず、
否定的にしか見ることができないと、
そんな自分に好意を寄せてくる人は
『趣味の悪い人』ということになるので、
当然、そんな人を
好きになれるはずがありません。

逆に、そんな自分に見向きもしない人は
『趣味の良い人』ということになって、
むしろ憧れの対象になるわけです。
___________

まあ、何という言葉でしょう、その言葉、
・・・って思いますけど、世間には、
そういう感覚の人もいるんでしょうね、
それで、もしかしたら、韓国ドラマの、
「火の女神ジョンイ」に登場する李江天、
彼は、官窯のトップという、まさに、
社会的には高い地位にいる人物なんですが、
でも、「自分のことが好き」とは、
もう、絶対思ってないはずです。

あの、そのドラマでは、李江天という男が、
ドラマ全体の災厄の火元になってまして、
彼の子どもが李睦道なんですけど、睦道は、
「自分自身を嫌ってる男」の息子として、
「苦しみの人生」を歩まなければならない、
悲惨なドラマ展開になってますけど、
そうですねえ、今のこの日本社会にも、
李江天と睦道の親子関係と似たことが、
いっぱいあるだろうと思いますから、
明日はこの続きを書いてみたいです。

最後に書きますが、社会的に高い評価を得て、
地位も名誉も財産も、すごく恵まれてるのに、
なぜか、なぜか、「心に不満を抱えてる」、
・・・って人がいるようでして、実は実は、
そういうタイプの人が、無意識のうちに、
子どもを虐待してることがあるんだってこと、
まあ、そうですねえ、私は、
李江天と睦道との親子関係に、
そういう例を見ましたから、
今後何回か、続けて書いてみたいですし、
世間の人から「うらやまれる」ような、
立派な家に住んで、収入の多い職業で、
生活スタイルも美しく高尚に見えるのに、
そんな家の子が兇悪な事件を起こしたりとか、
そういう不思議な家庭が世の中にはあって、
何かが「狂ってる」、あるいは「病んでる」、
だから、「幸せそうに見えて」、その実、
どうしようもなく不幸っていう実態、
まあ、そういうこと、陰惨なことですけど、
地獄のような実態を「そのまま」見て、
そこから、幸福への道って何なのか、
考えてみたい・・・って気持ちもありまして。


自分が大好きでいられることは、幸福の極。

日々が楽しいと

10-28,2017

秋(36)
「降るかなあ?」と思ってましたが、
ポツポツの雨が短時間落ちてきた程度で、
幸い、降らずに済みましたから、
午前中、ちょっとした戸外での楽しい行事に、
参加することができまして、とっても喜びで、
明日はまた、全く別の行事に参加しますけど、
屋内ですから雨の心配はないし、
楽しみばかりでして、ですから、
ほんとに幸せにいられるわけでして、
感謝、感謝んですけど、もし、仮にですね、
気持ちの問題なんですけど、たとえば、
「ダメな私」なんてことを心配して、
そのために「喜びを喜びとして感じ取れない」、
・・・としたら、悲惨なことだと思いました。

あの、今日の午前中の行事で、私、
たいへん失敗しまして、他の人々に迷惑をかけ、
でも、「失敗は誰にでもある」し、
見方によっては、私は恥をかきましたけど、
でも、生きてる限りミスはつきものですし、
そのミスによって、他の人にですね、
「苦痛を与える」ほどでもなかったので、
私自身が「すまなかった」ってことですけど、
世の中、私のミス程度はですね、
糾弾されるほどのものではないと思いまして、
別に「あつかましい」わけじゃなくって、
社会的に問題になるようなことではないから、
「間違えちゃった」程度の感覚なんですけど、
でも、世間には、誰かのちょっとのミスでも、
「許さない」というか、それを種にして、
人を糾弾して楽しむタイプの人もいるようで、
そういう人はですね、「人生を楽しむ」なんて、
できないと思いまして、あれあれ、
話が脱線してしまいましたから、
これで終わりにしますけど、不幸な人って、
自分の失敗を異常に気にしたり、また、
誰かの失敗は徹底的に攻撃するといった、
特色があるのかなあ・・・なんて思いました。


恥はかいたけど楽しく過ごせ、幸せな私でした。

刻苦勉励の日々

10-27,2017

34 (6)
昨日、テレビを見てましたら、ハワイでは、
「歩きスマホ」が禁止されてるそうでして、
以前、私は、高齢の方から、
二宮金次郎の話を聞いたことがありまして、
二宮金次郎って、刻苦勉励した人だとか、
それで、昔は小学校の校庭や門のところに、
二宮金次郎の石像があったと聞きましたが、
薪を背負って運んでいる道すがら、
本を読んで学問をした姿だそうでして、
あのう、それって、歩きスマホの元祖?
・・・なんて言ったら、叱られますかね。

まあ、昔の社会では、
そういう姿が良しとされたんでしょうけど、
「刻苦勉励」って言葉に対してはですね、
私としては、良い感じが持てませんでした。

あのう、ある人が野望を持っていたとしまして、
その、熾烈な欲望を達成したいという一心で、
自らを刻苦勉励するというなら、それは、
その人の自由意志ですから、私は何も言いません。

でも、誰かが、「他人に対して」ですね、
その「他人に対して」というところが重要でして、
他の人に刻苦勉励を求めるとしましたら、それは、
大問題だし、また、不幸の源になると思う私で、
あの、世間には、子どもに刻苦勉励を強いる親が、
いるってことなんですけど、韓国テレビドラマの、
「火の女神ジョンイ」を見てまして、登場人物に、
李睦道という青年がいるんですけどね、
彼の姿を見てますと、その父親から、まさに、
刻苦勉励を強いられてると思いまして、それが、
彼の不幸の源になってることは、明らなんですね。

それで、この話、明日以降も、
続けて書きたいと思います。


刻苦勉励を「強いられる」のは不幸だと思います。

皇帝ダリアが

10-26,2017

以下の文章、25日のブログ用なんですが、
文章はその前にできてまして、でも、
掲載する直前に用事ができましたから、
そのままになってしまいまして、結果、
昨日は掲載することができませんでしたので、
今日にさせていただきました。
34 (5)
今年の早春に皇帝ダリアの根をもらいました。
それを植えておいたのが育ってきたんですけど、
背丈が高いので、風に弱いんですね、
月曜未明に、台風で倒れてしまいました。
それで、火曜の昨日朝、風がやみましたから、
すっかり寝ていた茎を起こして、立てました。
無事に伸びるといいなあと思います。

ところで、今日は、
うれしいことがいっぱいで、でも、
それを書きますと長くなりますから、
すみませんけど嫌な話題なんですけど、
おとといの続きで、
韓国ドラマ「火の女神ジョンイ」に登場する、
李睦道の話を続けさせていただきます。

あの、李睦道の親は、
「偉い人間でないといられない」という、
世間に良く見られるタイプの人かと思うんですけど、
いやあ、世の中には「自分が良く見られたい」って、
必死でそう思ってるタイプの人っていうのが、
いっぱいいるかなあ・・・って、あの、私はですね、
「そういう感じがする人」をたくさん知ってまして、
だから、そう思うってだけのことなんですけど。

それで、ドラマの話ですが、子の睦道に対しては、
「親の思いどおり」の子であることを、
絶対的に求める親だろうと思いましたね。

それで、
昨日は「養生訓」のことを書きましたが、
子どもは親を怒らせないようにすべきだって、
そういう思想だと思いましたけど、
ドラマでの睦道は、父親に対して、
父を怒らせないように「必死に」努めて、
親の欲望を満たそうと、
身を削る努力を重ねるタイプだと思いました。

そこで私は思うんですけど、
私が知ってる人の中には、親がですね、
社会的に「自慢できる」高校に、
子どもを進学させたいって例が多数ありまして、
でも、「血のにじむ思い」でがんばっても、
子どもは「親が目指す」高校の受験に失敗して、
しかたなく、「親としては不満」の高校に、
入学するしかなかったって人を、
私は、何人も知ってるんです。

それで思いますけど、そういうのって、
不幸も不幸、すごく不幸でして、
子どもも不幸なんですけどね、
親もまた不幸でして、家庭内が日々、
不幸不幸で、なにしろ、
親が不満なのは当然でして、
子ども側とすればですね、過大な心理的負担、
あの、それは、どううしようもない・・・ですね。

話は脱線しましたけど、でも、私の思いは、
どうしてそんなに、
「必死にならなくちゃいけないの?」っていう、
親の心境に対する疑問もあるわけなんですけど、
親がどうしてそんな人になっちゃったかとか、
その疑問に答えを求めるのが私の目的じゃなく、
そうした「親の思い」を満たそうとしてですね、
自分を犠牲にして親の思いを満たすことに専念し、
自分自身をないがしろにしてきた子どもの不幸、
そういう不幸ってすごい不幸だと思うわけでして、
それで、このブログは、「幸福」を得るってこと、
そして、幸福への道を書きたいブログですからね、
不幸の原因を取り除く道も書きいたいわけで、
それで、そういう子どもの不幸ってことについても、
考えてみたいわけですが、「親は変わらない」、
まさにそのことを子どもが自覚すること、それが、
最初に必要なことじゃないかと思いまして、
ですから、「親の心境の変化を求める」という、
子どもの気持ちだけでは解決不能だってことを
書いていければですね、子ども時代を過ぎて、
たとえすごい年齢になっちゃった人でも、
幸福への転換ができるってことで、
まあ、続けて書いていきたいかなあ・・・って。


今生きてる人生での問題解決って、究極目標かも?

親の心理的問題

10-24,2017

34 (4)
昨日、隣県まで出かけたんですけど、
平地が「湖」になっていて、
道路が「川」になってるところがいっぱいで、
あっちの細道、こっちの通路(道路でない)と、
水深が浅い場所を探しながら迂回し、迂回し、
やっと到着しましたら、
そこに行く主要道は「通行止め」だそうで、
ですから、「来るべき人」がみんな来れなくて、
結局、行ってもムダ足でしたけど、
そのことで私は、どんなに困難でも実行する、
・・・そういう気持ちが人一倍だって、
自分自身のことなのに、初めて気付きました。
でも、世間一般の常識から言えば、私のほうが、
「やりすぎ」なのかも知れませんね。

話は変わりまして、
貝原益軒の養生訓という本、私としては、
考えが違う部分も多々ありますから、
読まないんですけど、次のような記述は、
気になります。(私の考えと違います。)
_________

世俗、わかき時はすこぶるつゝしむ人あり。
老後はかへつて、多慾にして、いかりうらみ多く、
晩節をうしなうふ人多し。つゝしむべし。
子としては是を思ひ、
父母のいかりおこらざるやうに、
かねて思ひはかり、おそれつゝしむべし。
父母をいからしむるは、子の大不孝也。
_________

その部分、私が勝手に解釈しますと、
この世の中、世間には、老人になりますと、
若い頃と違って慾深くなり、怒りが多くなり、
恨みも多くなる人が多い。

子どもは、親のそういう点に考慮して、
親が怒りを発しないように配慮すべきで、
親を怒らせてはいけない・・・と、
そういう考えなのかなあと思いました。

でも、そうだとしたら、私は、
その考え方には反対です。
貝原益軒は、親の心理的問題について、
子どもが解消してやるべきだというふうに、
考えてるように感じられるんですけど、
「自分の心理的的問題」は、誰もが、
「自分自身で解決すべき」なんですよね。
・・・それが基本と、私は思います。

それで、親が心理的問題を持っている場合、
その問題は親自身で解決すべきであって、
いくら社会生活を営んでいるといっても、
自分の問題を他人に解決させようとか、
そういう考え方はダメでして、ですから、
「子どもを利用して」親の心理的問題を、
「ごまかして紛らわせる」なんてのは、
親として、やってはいけないと思います。

さて、こういう問題、書くのが厄介で、
また、複雑ですから、明日以降も継続して。


自分の問題は、自分自身で直視する必要が。

台風でも用事が

10-23,2017

34 (3)
今朝は暗いうちから緊急自動車のサイレン音で、
今、窓の外は暴風雨です。

でも、私は、「どうしても」出かける用事があり、
今のところ、「行かなければならない」と、
それだけです。

さて、話は全く変わりまして、
韓国ドラマ「火の女神ジョンイ」に登場する、
李睦道という青年なんですけど、彼は、
「父親の意向」を、
絶対に満たさなければならないという、
それはもう、「風雨の中、外出」みたいな、
たいしたことない、生易しいことではなく、
「槍が降っても」成し遂げなければならない、
「厳命」を受けてるんですよね、父親から。

それで、台風でも出かける用事のある私が、
今、李睦道の話を書いてる場合でもないので、
また明日にしますが、世の中、こんな日でも、
「出勤しなければならない」という人もまた、
多いでしょうし、まあ、社会の仕組みが、
今の時代は「ゆるやかじゃない面」が、
多いですからね・・・


荒天でも「何とかなる」程度の感覚で幸福に。

雨だけど良い日

10-22,2017

34 (2)
今日の午前に参加しました催し、雨の日でしたが、
喜びのうちに過ごすことができましたし、また、
良かったです。

さらに、「こういうやり方もあるんだ」って、
また一つ、「学び」になったことがありまして、
生きてますと、「こうすればいいんだ」って、
教えられることがいろいろありまして、
ありがたいことですし、うれしいことです。

世の中、人と人との関係が重要ですから、
人に喜んでもらえる方法っていうのを、
実践的に学ばせていただけるなんて、
感謝ですし、社会生活を送る上で、
みんなが楽しめるようにというわけで、
いろいろ工夫されている実例を、
身をもって体験させていただけるってこと、
私にとっては貴重なことです。

雨のため、午後に参加予定だった戸外の行事は、
中止ということで、もちろんそれ、
とっても楽しい行事なんですけど、
日々に日々に毎日の活動が連続して、
疲労してる私ですから、
「室内でゆっくり過ごせる午後」ってのも、
私にとってはありがたいことでして。


晴れて良し、曇っても雨も良しって、幸福です。

活動してくたびれ

10-21,2017

34.jpg
昨日書いたことの続きは、また別の日にしまして、
今日は、ある行事でちょっとした部門を担当し、
最初から楽しく始められ、
喜ばしく終了したことでしたが、
結論は・・・くたびれました。
夢中で、いっしょうけんめいしちゃったんですね。

明日はちょっと遠出してある行事に参加し、
急いで戻って、午後もまた別の行事に参加という、
たいへんな日になるはずでしたが、
午後の行事は雨で中止が間違いないでしょうから、
疲労してる私にとっては、
ちょっと「助かった」という思いです。

それで思いますけど、世の中、
忙しく活動するのも楽しいんですが、でもやはり、
人は休養も必要ですから、
ゆったり過ごせるっていうのはすごく幸せで、
「選挙に行く時間をやっと見つける」なんてのは、
多忙すぎるってことで、明日は衆院選ですから、
これからの日本社会がどういう方向に行くのか、
ある程度決まっちゃう日でもありましょうけど、
さて、今回の選挙、世間の多数は、
どんな選択をするんでしょうか、
世界的に注目を集める外国の選挙なんかでも、
予測を超える結果があったりする昨今ですから。


一人一人の考えって、社会の幸不幸に影響しますね。

私を接待しなさい

10-20,2017

33.jpg
親子関係より、
「個人と個人の関係」を重視する私ですが、
それは、この世の中、「親子関係」をいいことに、
子どもを虐待する親がいるからです。

ところで、世間には、子どもに対して、
「私を接待せよ」と迫る親というのがいまして、
でも、それ、「私を接待しなさい」なんて、
言葉では絶対に言いませんで、でも、子どもが、
自分を接待しない態度を示しますと、
決して許さないんですね、そういう子を・・・

「接待」って言葉を使ったからわかりにくいですが、
社会的には「接待ゴルフ」とか、手軽には酒の席、
食事の席とか、接待の形式はいろいろでしょうが、
共通点は、接待する相手を「喜ばせる」という、
そのことを当面の目標にしてると思います。
(最終的な目的は、仕事を成功させることですが。)

ところが・・・です、世の中に、
「いい気分にさせてもらって」、しかし、
返報はしないって人がいたとしたら、まあ、
どんなことになるのかと思いますけど、
あの、そんなことを書きますのは、
韓国ドラマ「火の女神ジョンイ」を見ていて、
李江天という登場人物が、自分の子に対して、
「親の私を気分良くさせろ」という厳命をですね、
「課してる」としか思えないからなんですけど、
この続きはまた明日にしたいと思います。


子どもに「頼らずに」気分よくいられる親が幸福。

個人と個人の関係(2)

10-19,2017

秋(32)
昨日の続きで、ドラマの主人公井の話ですが、
井の父親が明日処刑されて死ぬという晩に、
王子様が井に向かって、
「最後に父に会わないつもりか?」と、
尋ねられるんですけど、井は、
「すでに会いました」と答えるんです。

その「すでに会った」と言ってるのは、
昨日書きましたように、父の李江天が、
娘の井に対して、次のように言った時です。
「今さら、私とお前が、
 実の親子だと言ったところで、
 何が変わるというのだ!」

そうですねえ、世間の人はどんな感想か、
それはわかりませんし、まあ、
王子様のような考えかも知れませんけど、
李江天は井の暗殺を計画しましたし、
暗殺計画が失敗すると、
井を外国(日本)に売る画策をしました。
でも、危ういところでを救出された井で、
その井に向かって、父の李江天は、
上記のように言ってるんです。

それで私は、確かに李江天は井の父ですが、
そういう気持ちと態度の父に対しては、
父が死罪となる前夜だからという理由で、
父子関係の今生の別れをしなければならない、
・・・なんてことはないと思います。

私は、親子と言ってもですね、社会的には、
「個人と個人」の関係に帰するものであって、
その「個人と個人」の関係というのは、
親子関係よりも優先するものだと思います。

この世の中、人間関係は、
「個人と個人」の関係が大切であって、
その「個人と個人」の関係の中に、
親子関係とか夫婦関係が含まれると、
私は思います。

そして、「個人と個人」の関係が、
心の優しさ、温かさ、好意や愛情、
また、信頼感などに裏打ちされている、
そういうのが幸福な状態だと思います。

まあ、この続き、また明日書ければ・・・


人が個人として尊重されるのが幸福ですね。

個人と個人の関係

10-18,2017

秋(31)
「非社交的」という言葉がありまして、
そういう人って、社会的な場では、
悩むことも多いんでしょうか、ある人ですが、
自分は非社交的だと悩んでたそうでして、
ところが、インターネットである言葉に出会い、
救われたって話を聞きましたから、
ちょっとその言葉を紹介します。
________________

暗くて非社交的な人間の何が悪い!!
素敵じゃないか!!
落ち着いていて
静かで
趣深くて
シャイで
なんて魅力的なんだ!!!
________________

いやあ、すみません、笑っちゃいましたね、
その言葉を聞きまして。
あの、でも、私が笑っても、
不謹慎だと思いませんし、
その非社交的な人に対して失礼だとも、
思いません。
それくらい・・・明るい響きを持っていて、
悩みなんて吹き飛ばしちゃうと思いました。

話は変わりますけど、世の中、
いろんな親子関係がありまして、
韓国ドラマ「火の女神ジョンイ」で、
李江天という人物はついに、主人公の井が、
自分の実子だということがわかりました。

それで、李江天は井に言います。
「今さら、私とお前が、
 実の親子だと言ったところで、
 何が変わるというのだ!」

いやあ、その言葉、その「実の父親」の言葉、
私は「それで良かった」と、ほんとにもう、
心から思いました。

なぜなら、李江天は井の暗殺を図って失敗し、
次には、井を外国(日本)に売り飛ばして、
「ライバルを消そう」とした人物でして、
そういう親がですね、自分の子だからという、
そういう理由で、「自分と井との関係」を、
「親子という濃密な関係」に封じ込めたなら、
井の不幸は計り知れず不幸なものになるだろう、
・・・と、私は思ったからでした。

あのう、井にとっては、そういう魔人と、
「親子の濃密な関係」を構築するなんてこと、
それは、地獄に入ることだと思うからなんです。

それで私は言いたいです、
実の親子が「他人同士」で何が悪い!!
独立した個人同士の関係こそ素敵じゃないか!!
親子というドロドロの人間関係じゃなく、
「他人同士」という、さわやかで、
相手に踏み込まない節度を保っていて、
無遠慮なことをしないという、
慎み深い人間関係っていうのは、
なんて魅力的なんだ!!!

あのう、世間では「親子関係」こそ、
すばらしいものと考える向きもあるようですが、
現実の世の中には「地獄の親子関係」っていうの、
実際にありまして、子どもの虐待なんてのも、
地獄の親子関係ですからね、それで、かえって、
親子であったとしてもですね、
「独立した個人と個人の関係」に還元することが、
幸福への道って場合があるんですよね。


個人と個人の関係が喜ばしいのはほんとに幸せ。

人目を気にする

10-17,2017

秋(30)
おとといですが、
「自分の思い」には冷淡で、
「他人の目」ばっかり気にする人のこと、
書きまして、昨日は、
「ダメな自分」を隠蔽するため、
立派な肩書きを得ようとする人のこと、
書きましたけど、
結局、どんな心理状態かを想像しますと、
(1)自分に自信が無い。
(2)だからこそ、ダメな自分を隠蔽し、
   自分は「立派な人間」と偽装する為、
   地位や肩書きを得て人の目を欺く。
(3)ほんとうの気持ちは、世間の人々から、
   認められ、愛されたいんだけれど、
   「ダメ人間」の自分には不可能だと、
   心の底で思っているからこそ、
   「すばらしい自分」を演出するわけで、
   ほんとうの自分の思いには気付けない。

それで、「ほんとうの自分の思い」なんですが、
それは、ありのままの、このままの姿の自分で、
世の中の人々から受けいれられ、
好意を持って接してもらうことができるし、
愛され、親切にされ、良くしてもらえるという、
そうした願いじゃないかと思うんですね。

ところが、社会生活をしていく上で、
ありのままの自分の姿では、
認められることなく、好意を持たれることなく、
愛されず、親切にされず、良くしてもらえないと、
「思い込んでる」のではないかと想像します。

だからこそ、自分が認められ、評価を得たいため、
立派な肩書きなどをかちとろうとするのかなあ、
・・・と想像するわけですけど、要するにそれは、
「他人の目」を気にしてるってことだと思います。

そんなわけで、「他人の目を気にする」っていうの、
それは、「他人の気持ち」がどうなのかってことに、
「自分が」一喜一憂するってことじゃないのかなァ?

そうですねえ、・・・で、そうだとすればですよ、
人目を気にする人っていうのは、
「自分自身の人生を生きることができない人」
・・・って、そういうことじゃないですか?
あの、そうだとしたら、
「あまりにも不幸」な人じゃないんでしょうか?

ジャジャーン・・・と効果音を伴って言いますけど、
ナゼ、ナゼ、ナゼ?
・・・なぜなんでしょう、「自分自身の人生」を、
そんなに「ダメなもの」と思っちゃうってことは!

文章の脈略が支離滅裂ですけど、幸福ってのは、
自分自身の人生を「肯定できる」心境だってこと、
ここに書きたい私でして、あのネ、あのネ、
この世の中で、世間的にですね、自分が、
良い評価を得られるか、ダメな人と見られるかって、
「他人の心情」を気にする人がいますけどね、
でも、でも・・・ですよ、私が思いますに、
「他人があなたをどう見るか」ということで、
あなたの価値は決まるんですか? ・・・って、
そういうことなんですけど、この続きは、
また明日にしたいと思います。


「今の自分でうれしい」って、すごく幸福ですね。

偉い自分という幻想

10-16,2017

秋(29)
今日の添付写真、
なんか「物足りない」というか、
寂しいような雰囲気があると思いまして、
今日の内容にはピッタリかもしれません。

ところで、世の中には、
自分が偉い存在でなければいられないという人が、
いるように思う私でして、それは実際、
そういうタイプじゃないかなあと思われる人を、
何人か見てるからなんですね。

それで、そういう人の中には、社会的にですね、
立派な肩書きを持つとか、資産家になるとか、
そういう存在を目指して必死になってる人が、
少なからずいるように思う私です。

韓国ドラマ「火の女神ジョンイ」に登場する、
李江天という人物がそういうタイプでして、
彼は朝鮮の官窯である司饗院分院で、
トップの役職にあったんですけど、実は、
本庁である司饗院の、判官の地位を狙ってました。
司饗院判官は従五品ですから、大出世と思います。

要するに彼は「偉くなりたい人」の典型で、
地位というか、肩書きによって、
「自分の偉さ」を確かめたいんだと思います。

でも、彼の内面を見ますと、
「ライバルに対する恐怖」で生きてる人間で、
そのため、ライバルを暗殺もしますし、
とにかく、ライバルの排除にやっきなんです。

・・・それって、「自分に自信が無い」という、
まさに、劣等感の表れではないでしょうか?

だからこそ、「ダメな自分」を隠蔽するため、
立派な肩書きを得て世間の人を欺こうという、
まあ、そんなわけなのかなあと思いまして、
続きはまた明日にしたいと思いますが、
幸福なのは、「すばらしい自分」じゃなくても、
今、このような自分で、こんなふうに生きてる、
そのことを「楽しめる」人だと思いますし、
実際、そういう喜びのうちに日々を過ごすって、
「何の努力も無しに」できることなんですよね。


「偉さを求める」のは、哀れで不幸だからかも?

満たされない

10-15,2017

秋(28)
あのう、社会的に成功した人と言ったらいいか、
地位も高く、財産もあり、世の中の人からは、
うらやましがられるような境遇にありながら、
それでもなお、「心が満たされない」みたいな、
何と言ったらいいかわかりませんけど、
あの、「何が不満か?」って問われたとしても、
暮らしに困ってるわけではないし、
世間的には何不自由ない人生って場合はですね、
そういう視点からは、「不満が無い」としか、
言いようがない人がいたとしまして、でも、
それでも何か「不満だ」って言う人がいまして、
いったいそれ、どういうわけなんでしょうね?

それはまあ、要するに、その人には、
「満たされない気持ち」があるんでしょうけど、
じゃあ、何が満たされないの?
・・・って、そこのところが不思議ですね。

ところで、別の話ですが、
他人から「悪く思われないように」ってことで、
人生を必死でがんばってる人がいるようでして、
あのう、疑問点はですね、
その人自身が「したいこと」を、なぜしないの?
・・・ってことでして、つまり、私とすれば、
「自分がしたいこと」をして喜んでいられたら、
他人から「悪く思われないように」なんてことで、
心配してるヒマはないだろうと思うんですけど、
どうなんでしょうね?

それで明日は、「自分の思い」には冷淡で、
「他人の目」ばっかり気にする人のこと、
ちょっと考えてみたいと思います。


「何が不満か」自分でもわからないという不幸。

ウソつき人生

10-14,2017

秋(27)
11日に書いたことの続きを書きますが、
ドラマの主人公「井」は、
李江天が放った刺客に殺されるところを、
危うく助けだされ、その後、
拉致されて外国に売り飛ばされる場面でも、
救出されて帰ってきました。

井を殺そうとし、井の殺害に失敗すると、
井を外国に売った人物が李江天ですけど、
その李江天は、反逆の罪で獄につながれ、
死刑を待つ身となっていました。

そこに帰ってきたのが井なんですけど、
死刑囚の李江天が井に言います。
「無事だったんだな。
 おまえが無事に戻れるよう、祈っていた。」

まあ、それ、何とすごいウソでしょう!

だいたい、井自身が、
李江天のたくらみを知ってますからね、
それにまた、李江天だって、
自分の企みを井が知っていることを承知です。

・ ・ ・ ですから、
「無事に戻れるよう、祈っていた」なんて、
ウソであることは「誰の目にも明らか」です。

その、絶対にウソだとわかっちゃうウソを、
自分の処刑を目前にした段階で、
自分の実の子に言いますか?
(井の父は、李江天だと明らかになりました。)

まあ、それほどまでに、李江天の人生は、
「ウソで固めた人生」だったと、私は思います。
そして、死の直前でも、自分の子に対しても、
「ほんとうのことが言えない」んですけど、
それはねえ、李江天の生きてきた道程が全部、
「ウソの人生」で、彼は自分自身に対しても、
そうなんです、自分にもウソをつき続けたと、
私は思います。

つまりそれ、「ほんとうの自分」を、
彼自身が「否定してきた」ってことかなあ、
・ ・ ・ と思ったことでした。

そして、それほどまでに、
「自分の真実の姿」を知ることが、李江天には、
恐怖だったんじゃないかと思いますけど、
続きはまた明日。


ありのままの自分の姿を好きになれる幸せ・・・

今日も感謝で幸福

10-13,2017

秋(26)
昨日はブログを書く時間的余裕がなくて、
休んじゃいましたけどね、
予告していた内容がまた、
暗い話題したから、
気分的にも良くないわけで、まあねえ、
晴れやかな話題を書きたいですね、結局。

さて、今日も忙しかった私で、
午前中の活動では、休憩中に、
思わず知らず、居眠りがでちゃった私で、
「疲れがたまっていた」ってこと、
自覚できたわけでしたが、夜は夜で、
ちょっとした講習を行いまして、
参会者の皆様にも楽しんでいただき、
もちろん私も、とってもうれしいことで、
でも、よく考えてみますと、
「社会的な活動」っていうのは、
個人を重視する感覚だけでは不可能なので、
どうしても、「自分に無理がきちゃう」、
・・・というか、そういう面、ありますね。
あの、自分は疲れてるけど、
皆様にも喜んでもらえるし、
自分もうれしいし・・・って、
まあ、そんな感じでしょうか。

でも、世の中には、今日も思いましたけど、
「自分がたいへんになる」上に、
無償奉仕ってことになっちゃうけど、でも、
それでも、他の人のために役立てるという、
そういう思いのために奉仕する人がいるし、
自分もまたそんなふうに行動するってことは、
苦労もあり、疲労することであっても、
「喜びだ」って、そういうことはありますね。

今日は私、他の人のために無償奉仕するという、
そういう一面を持つ活動をして下さる方々と、
ひと時を過ごすことができましたこと、
今、このブログを書いている現時点になって、
「良い時間だったなあ」と、
改めて感じることができまして、
感謝の思いと共に、幸福だったと感じました。


今日の日もありがたく感謝で幸せです。

ウソついちゃう

10-11,2017

秋(25)
この世の中、「真実を言いたい」ですけど、
事情によって「言えない」場合もありまして、
たとえば歴史の上ですけど、文禄の役の時、
明国の使節が日本に来まして、
小西行長と講和の話し合いをしたんですけど、
明国に対しては日本が降伏したと報告して、
豊臣秀吉には明が降伏したと報告するという、
「ウソの報告」をでっちあげたっていうんです。

まあ、「その場は」おさまったんですけどね、
後で事実が発覚して、結局は、
慶長の役が起こるんですけど、まあ、この社会、
ウソはその場しのぎにはなっても、結局、
そのツケは回ってくると ・ ・ ・

あの、変な前置きから話し始めましたけど、
昨日のブログに、
社会的にはすばらしく「立派な人」に見えても、
その実、悪魔的人間だというような人が、
世間に多々見られるとか、「仮面をかぶって」、
善人を偽装する人がいることを書きました。

それで、
「誰のことかわからないように書く」場合でも、
私が知ってる人のことをブログに書くのは、
やっぱりはばかられますからね、
ドラマの登場人物を借りて書きますけど、
韓国ドラマ「火の女神ジョンイ」に登場する、
李江天という人がそうでして、彼はですね、
社会的な地位も高く、「すばらしい人物」と、
世の中の人からは「見られても」ですね、
その実、自分の子を懐妊した女性を暗殺し、
自分の仕事上のライバルを暗殺し、
ドラマの主人公「井」の暗殺も謀りましたが、
その暗殺に失敗すると、井を、
外国(豊臣秀吉時代の日本)に売り渡そうと、
画策するんです。

ドラマ中で、その時期というのが、
文禄の役の最中でして、侵攻してきた秀吉軍に、
李江天は「協力した」んですよね。

さて、ドラマの主人公「井」を助けようとして、
金泰道という男性は、
少年の頃から井を守り続けるんですけど、
最後は、井を拉致しようとする集団と戦い、
ついに、命を落としてしまうことになりました。
その「井を拉致する集団」というのが、
ドラマでは、豊臣秀吉の求めに応じて、
井を日本に連れて行こうとしている連中です。

さて、李江天は、敵である秀吉軍に味方して、
自分がトップを務める朝鮮官窯の職員を、
秀吉軍の支配下に置いたことが、
ついにバレてしまいまして、そうしますと、
祖国を裏切った反逆者ですから、
死刑になる身として、
獄に繋がれてしまったんですけどね、
そこに、実の娘である井が、
日本への拉致を逃れて戻ってきました。

彼女がなぜ戻れたかと言いますと、
金泰道が命をなげうって、
彼女を守ったからなんですね。

そして、彼女を日本に「売り渡す」画策、
その画策をしたのが、まさに、
李江天なんですけど、拉致被害を逃れ、
無事に戻ってきた井に対する李江天の言葉、
その言葉がすごいんでして、
それは明日書きたいと思います。


ウソをつくしかない情況って、不幸ですね。

苦しみからの解放

10-10,2017

秋(24)
昨日は、相手の人が「喜べるように」って、
そういう心遣いができる人は幸せだってこと、
書きましたが、まあ、世の中にはその反対に、
相手を「苦しめる」人もいまして、それで、
社会的にはすばらしく「立派な人」に見えても、
その実、悪魔的人間だっていうようなことは、
世間に多々見られることでして、その場合、
「仮面をかぶって」善人を偽装してるのが、
「自分の親」だったとしたら・・・ですね、
子どもは、「親が魔人だ」ってことを、
世間の人に証明しようとしても、
限りなく不可能に近いことでして、現実には、
「できない」と思いますね、私は。

まあ、そういうの、不幸も不幸、
ものすごい不幸なんですけど、さて、この話、
暗い話題ですから、今日は前置きだけにして、
明日また書きたいと思いまして、あの、
ひどい話なんですけど、
そういう情況で苦しんでいる人が、
どうしたら地獄の情況から抜け出せるか、
書ければいいんですが、可能かどうか、
それはわからないんですけど、でも、
「できない」という前提で書こうとしないのは、
前向きの姿勢じゃないと思いまして。

結局、
相手の人が「喜べるように」行動できる人って、
自分が苦しみから解放されてるから、
「他人のために」できるのであって、現に今、
自分自身の苦しみにのたうち回っている人は、
「相手のために」どころじゃないですよね。

そうですねえ、「苦しみからの解放」、
・ ・ ・ という話題も、
幸福をテーマとするこのブログでは、
必要かなあと思いまして。


痛み、苦しみから解放されて幸福がありますね。

今日も感謝の日

10-09,2017

秋(23)
昨日は一日中出かけてまして、
ブログどころではありませんでしたけど、
今日も行事に参加しまして、まあ、
たいへんと言えばたいへんでしたが、
でも、今日もまた喜びの日ということで、
ありがたくも感謝でした。

それで、一番の感謝と言えば、今日もまた、
「良くしてもらえた」ってことでして、
世の中、「いいこと」もまた、
いっぱいあるなあというのが感想でして、
ですから、人はみんな、
「限られた命」を生きてますけど、
その日々の中で、「人が喜ぶように」と、
そんな気持ちが発揮できることって、
まあほんとに「幸せなことだなあ」と、
「良くしてもらって感謝」なのは、
私なんですけど、私に親切にしてくれて、
私のことを考えてくれた人はですね、
そういう行動ができるという点で、
とっても幸せな人なんだと思いました。


今日もうれしく、ありがたく感謝の日で。

怒り蓄積の不幸

10-07,2017

秋(22)
今朝のブログに書きましたように、
明日(8日)は休ませていただきますが、
次のようなニュースを知りましたので、
今日、2度目のブログを書くことにしました。

毎日新聞の、9月末のニュースなんですけど、
標題は、「福岡の高校 教師を暴行、
ネット動画 県警が捜査」というものです。

その記事ですが、概要だけ書きますと、
福岡市の私立高校で1年生の男子生徒が授業中、
20代の男性教師を蹴るなど
暴行する様子が撮影された動画が
インターネット上に投稿されていることが
29日、同校への取材で分かった。
福岡・東署も動画の内容を把握しており、
暴行容疑を念頭に調べている。
動画は43秒で、男子生徒1人が
教壇に立つ男性教師の背中や足を蹴った後、
背中を殴って
胸ぐらをつかむ様子などが映っている。
同校によると、動画は28日午後の
社会科の授業中に撮影された。
授業で使う予定のないタブレット端末を
男子生徒が利用したため、
男性教師が注意したところ
男子生徒が激高したという。
ネット上に投稿された動画を見た人から
同署に通報があり、
同署が同校に連絡して発覚した。
男性教師から同校への報告はなかったという。
・・・というようなものでした。

あのう、そうしますと、この事件は、
「ネット上に投稿された動画を見た人」が、
「東署に通報」して発覚したというわけで、
やられた先生のほうは、
「黙ってた」わけなんでしょうねえ。

それで私が思いますのは、
このニュースとは無関係なんですけど、
世の中の一般的な傾向のことでして、
「ひどくされた人」が、その事実をですね、
社会的に他の人々に伝えるか?
・・・って言いましたら、そうじゃないことが、
世間には、普通にたくさんあるってことでして、
まあ、いわゆる「やられっぱなし」ってことが、
多々あるというのが、
世の中の現実ではないかということです。
ええっと、残酷な話ですけど、父や兄から、
性的虐待を受け続けた女性だって、
その事実を「言わない」ですよね、
たとえば、永久に ・ ・ ・ って人も。

それで、問題は、
「やられっぱなし」で「黙ってる」と、
心の中に怒りが蓄積するということになって、
それが不幸の一大原因になると思うんですけど、
そういうことはまた・・・あさってに。


怒りを押し込めず、解いていくのが幸せへの道かと。

慈母・慈父の幸せ

10-07,2017

秋(21)
世の中には、慈母と呼んでいいタイプの女性が、
たくさんいますよネーって、私は思いますし、
同様に、慈父もたくさんいるのが事実です。

たとえばですけど、自分のことは差し置いても、
子どもが喜べるように、幸せにいられるように、
日々、愛情を注ぐっていう母親もそうだし、
家族を経済的に支える為、つらい仕事でも、
そんなことには負けずに働いてくる父親もまた、
慈しみの人だと思います。

まあ、この社会、おぞましいこともいっぱいあり、
ひどい状況もありますけど、同じくらい多く、
人と人とが融和し、好意を持って相手を助け、
相手の喜びのために行動するなんてこともまた、
普通にどこにでも見られることでして、ですから、
世間というものは、悪い面ばっかりじゃなくって、
幸せな面もたくさんあるというのが実態でしょう。

そして、弱肉強食の面だけでなく、「強い者が」、
弱い立場の人を助け、いっしょに、喜びの中に、
みんなで幸せに生きていこうとする態度もまた、
どこにでも見られることでありまして、
そういう姿って、ほんとにいいですね。

それでまた、「相手のために」行為することは、
そうすること自体が喜びだし、幸せなことでして、
そういうのって、自分が実践してみれば、
すぐにわかることだと思います。

・・・が、世間には、
人に対して良い思いを持つことができないという、
心が不健全な人も多くいまして、そういう人は、
不幸の中で呻吟する人なんですけどね、
まあ、そういう人のこともこのブログに書いて、
「どういう方向で生きるのが幸せか」ってこと、
書いていければと思います。

なお、明日の私は早朝出発、遅く帰宅なので、
ブログはお休みにします。


人を好きになれるってほんとに幸せなことです。

愛せる幸せ

10-06,2017

秋(19)
韓国ドラマ「火の女神ジョンイ」の登場人物で、
一番すごいのは誰かといいましたら、それは、
金泰道という人で、こういう人は、世の中に、
「数少ないだろうなあ」と、私は思います。

まあ、とにかく、主人公の柳井を愛してまして、
井を助け、井のために至誠を貫く人物なんです、
何の代償も期待せずにです。

最後は、井を助ける為に命を落としますけど、
そうしてまで井を守った人物なんですね。

まさに文字どおり「命がけ」で、
井のために尽くした一生でして、
その慈愛の深さは、観音様みたいだと、
私は思いましたが、でも、
観音様についてはよく知らない私なんですが。

まあ、それほどですね、超人的だってことを、
言いたかったわけで、井のためには、
自分の都合とか自分の利益なんて、もう、
全く、全然、考えてない人物なんです。

あのう、たとえどんな慈母であろうと、
金泰道が井に捧げる愛情には、
かなわないだろうと思ったことでした。

それで、今日は、標題のとおり、
「愛せる幸せ」について書くつもりでしたが、
なんか、ドラマの登場人物について、
書いちゃいましたけど、この社会には、
「慈しみの人」というタイプもいるでしょうし、
そういう人って、世の中の宝物ですね。


慈しみの人との出会いって、幸福そのものです。

好意が得られる幸せ

10-05,2017

秋(18)
昨日は、無理をしてでも、
すごい人間になろうとする心情のことを、
ちょっと書きましたけど、結局それって、
「すごい人間」でなければ、相手の人から、
認めてもらえないとか、好意がもらえない、
もっと言えば、愛してもらえないってという、
強い思いにとらわれているからだと、
私は思いまして、ですから、人は、
社会的に、誰かとの関係において、
「認めてもらえない」とか、
「愛されない」ってことは、
ひどい苦痛なんだということですね。

それで、韓国ドラマ、
「火の女神ジョンイ」に登場する、
李睦道という青年は、
父親に認められたい、歓心を買いたいと、
もう、必死になってまして、
父親から「認められるため」には、
ライバルの井を倒そうと汚い手段をとる、
卑劣な男に成り果ててしまいました。

また、沈火霊という登場人物は、
少女時代から恋い慕っていた金泰道が、
井のこっとばっかり思って、
自分に関心を示してくれないので、
恋敵である井を外国に売ってしまおうと、
悪巧みをするんですけど、
まあ、李睦道にしても沈火霊にしても、
自分が「承認されたい」気持ちのあまり、
他人を害し、倒すという悪事を行い、
そのために不幸な人間になろうとも、
それでも、父親の承認を得たいとか、
好きな男性の愛を得たいって気持ちが、
さらに強かったので、
そうなっちゃったんでしょうけど、
この世の中、認められたい、
好意を持ってもらいたい、愛されたい、
まあ、その気持ちの何と強いことか、
・・・と思いますし、逆から言えば、
認められない、好意が得られない、
愛されないって、
「何とひどいことか」と思います。

また、こうして、
「ありのままの自分」でいても、
良く思ってもらえるし、
親切にしてもらえるし・・・ってこと、
うれしく、ありがたく、幸福なことだと、
ほんとに思いますね。


認められ、好意を持ってもらえる幸せ・・・

無理しなくていい

10-03,2017

秋(17)
安心して日々を生きることができるのは、
他の人に対する信頼があるからだと、
私は思います。

あの、この社会が、弱肉強食の闘争状態で、
いつ自分が「やられるかわからない」としたら、
とても安心して暮らすなんて、できませんよね。

さて、世の中が平和で安全で、
仲良く暮らせる世の中だとしても・・・ですね、
世間には、そんなふうに考えられない人もまた、
いるのが現実だと思います。

たとえば、昨日書きましたけど、
自分の子が何でも一番でなきゃいけないって、
まあ、そういう親って、世間には、いますね、
実際のところ。

それで、自分が「優秀な人間」じゃなくても、
本来の自分自身をそのまま出して行動しても、
自分は他の人々から認めてもらえるし、
好意を持ってもらえるし、愛してもらえるって、
そんなふうに確信できていたら、
別にねえ、「無理して」すごい人間になろうとか、
すごい人間になれなかった時は、世間を偽って、
すばらしい人間の「ふりをする」とか、
そんな「苦しい対応」は、「しなくていい」と、
私は思います。

それでこの続きは、また明日ということに・・・


「無理する必要が無い」って、すごく幸せなこと。

安心できない

10-02,2017

秋(16)
相手の人が、自分に「要求してくる」、
そして、相手の要求に応えられない場合、
相手から「制裁を受ける」って人間関係、
そういうの、何と悲惨で、不幸でしょうか。

あの、人と人との社会的な関係で、
そういう状況っていうのは、実は実は、
世間に、すごくたくさん見られるんですよね。

たとえば・・・ですけど、親子関係において、
運動会でですね、自分の子が競走で2番だった、
・・・って理由で、ひどく叱られた子がいた、
という話を聞きましたけど、私なんかからすれば、
運動会での小学生の競走なんて、何着だろうが、
そんなこと、何の問題もないことで、かえって、
小学校の運動会での成果を「問題にする」親こそ、
「気にしすぎ」というか、心理的問題を感じます。

あの、「2番」では「ダメ」で、
「1番じゃなきゃいけない」って心情、
それは、どこから出てくる気持ちなのか、
私にはわかりませんけど、でも、
子どもが最優秀じゃなかった場合、
その子は不幸に陥っちゃうという親の考え、
それはねえ、違うんじゃないかと思います。

そして、そういう親に育てられた子って、
心理的に不安定・・・というか、
不安定を通り越して、心が壊れていく、
あるいは、心を閉ざしてしまうことにもなり、
その子にとってのすごい不幸の始まりだと、
私は思うんですけど、まあ、今の世の中、
「競争で勝たなければダメ」っていう親、
たくさんいるように思いまして・・・


「安心して」日々を送る親が、幸福な親ですね。

安心できる世の中

09-30,2017

秋(15)
「安心して」生きられるのは、すごい幸福だと、
私は思いまして、ですから、その反対にですね、
不安や恐怖を生きるって、悲惨だし、不幸です。

・・・というのは、「私の感覚」でありまして、
他の人はどうか知りませんけど、私としては、
平穏無事って、尊いことだと思うことです。

そして、平穏無事だからこそ、
あれもしたい、これもしたいって、
いろんなことを「してみたい」わけでして、
でも、目の前に不安や恐怖があったとしたら、
その不安や恐怖に対応しなければならないので、
「したいことに没頭」なんて、
とてもできないと思うんですね。

さて、不安や恐怖ということを考えてみますと、
そういうのは「社会的に」発生することで、
要するに、「人との関係」で生まれるものだと、
私は思います。

ですから、日々の人間関係がですね、
信頼や愛情で裏打ちされたものであれば、
人との関係に多少のいざこざとか、軋轢とか、
あるいは争いが生じたとしましても、
「問題なく」乗り切れる場合が多いと思います。

ところが、人間関係がですね、そもそも、
好意や愛情に基づかない関り合いの場合、
相手の温情に頼ることなんてできませんから、
相手との関係がギクシャクしたり、さらに、
対立関係にまで至った場合は、どうしても、
「身を守る」ためには、防衛力とか、
さらには、攻撃力が必要になると思います。
要するに、「攻撃は最良の防御なり」です。

それで、自分が相手を攻撃している場合は、
防御のために犠牲を強いられないですから、
どちらが「得策」かという面から見れば、
攻撃するほうが、防御するより有利で、
ですから、世の中、
信頼や愛に基づかない人間関係ばかりで、
「安心できない」って人が多くなるほど、
他人への攻撃が多発するし、そうすると、
必然的に、攻撃される場面も多くなりますから、
不幸がつのっていくことになるでしょうね。


この続きは、また明日書きたいです。