生き方の選択

09-23,2017

秋(8)
韓国ドラマ「火の女神ジョンイ」の主人公の話、
書き続けてますけど、今日も、
ヒロインである井の言葉を書きます。

彼女は言います。
「母も不正を暴くために身重の体を引きずり、
 立ち向かいました。
 私は、その母の子なんですよ。」

それで、母が「身重の体」だったのは、
井を懐妊していたからなんですね。

そして、「不正を暴く」と言ってますけど、
その「不正」を働いていたのは、
井の実父であり、つまり、
井の母を懐妊させた男性なんですね。

その男性は、陰謀の片棒を担がせた井の母を、
暗殺する経緯となりまして、井の母は、
死の間際に井を産み落とし、落命したのでした。
つまり、その男は、
自分の悪事を知られてしまった女性を、
「生かしてはおけなかった」わけでして、
もちろん、自分の悪事を秘密にする為にです。

まあ、世の中には、冷酷無惨で悪事を働く人間が、
いっぱいいまして、さらにその上、
そういう魔人が、社会的には「立派な人」という、
実態とは正反対の評価を受けることって、
実際に、いっぱいあるというのが現実ですね。

でも、井の母は、
「悪事には与しない」態度を貫いてまして、
今日、私が書きたかったことは、この人生、
自分の生き方・・・って、
「自分で決めるもの」だということなんです。

もちろん、幸せのために、
「悪事を遠ざける生き方」をするのは、
当然のことですね。

なお、明日は早朝から出かけ、
一日中用事がありますし、
明後日も、朝から遠出する用事がありまして、
明日は、ブログを掲載できない可能性が大です。


親、兄弟、夫婦でも、悪事を行う人からは離れる。

他人だけど愛情

09-22,2017

秋(7)
韓国ドラマ「火の女神ジョンイ」について、
昨日の続きを書きます。

主人公である井に、
彼女の生母のことを尋ねられた女性は、
さらに、次のように答えます。
「これだけはハッキリ言える」と前置きして、
「蓮玉さんが心から愛していたのは、
 柳辺首だった。
 柳辺首も、蓮玉さんを大切に思っていた。」

ちょっと解説を書きますと、
柳辺首の「辺首」というのは職名で、
彼の姓名は柳乙潭です。
また、蓮玉というのは、井の生母です。

私はその答えを聞いてですね、
井の心が、半分、救われたと思いました。
確かに、実父が極悪非道な人間なので、
井の心理的打撃はものすごかったんですけど、
井が慕っている育ての親、柳乙潭のことを、
生母が愛していたことを知りましたし、また、
柳乙潭も、生母のことを大切に思っていたと、
知ることができましたから。
(主人公の姓名は柳井なんですけど、
 姓の「柳」は、育ての親の苗字なんです。)

さて、柳乙潭は、職場において、
同僚だった李江天からひどいめにあわされ、
最後には、李江天が放った刺客によって、
殺されてしまうんですけどね、
それほど憎い李江天の子であっても、
愛する蓮玉のために、
「蓮玉の子」である井をかわいがり、慈しみ、
愛情を注いで育てたのでした。
連玉とは結婚してないし、
井は自分の子ではないにもかかわらずです。

そこに私は、人と人との幸福な関係を見まして、
人を好きになり、愛することの幸せと喜びを、
つくづくと感じるんですね。

あの、それ、「親子だから」とか、また、
「夫婦だから」というのではなく、
社会的な関係から言えば「他人」なんですけど、
その「他人」をですね、好きになり、愛し、
そして、温かく、やさしい、慈しみの心を持つ、
あのう、世の中には、そういう人間関係も、
いっぱいあるとおもう私でして、そういうの、
全く幸福だと思います。


仲良くする幸福は、親子夫婦家族など関係なく。

子どもがじゃま

09-21,2017

秋(6)
韓国ドラマ「火の女神ジョンイ」の主人公、
井の話を続けますけど、井は、
母を良く知っている女性に、
次のように問いかけます。
「私の母は、ほんとうに李郎長のことを慕い、
尊敬していたんですか?」

そして、続けて、このように問います。
「だから、私が生まれたんですか?」

まあ、そのセリフ、
ほんとにねェ・・・と思います、それって、
井自身、自分の生母がですね、
実父を慕い、愛していたのではなかったろうと、
心の内に疑念・・・というか、
おそらくそうだろうという思いを持つからで、
だから、確かめたかったと想像するんですけど。

まあ、この世の中、
母親が、子どもの父となった男性のことを、
好きでもなければ愛してもいなかったなんて、
そういうことはいっぱいあると思いますし、
立場を変えて言えば、父親がですね、
自分の子を生んだ女性のことを、
好きでもなければ愛してもいないってことも、
それこそたくさんあるのが世間の実態で、
でも、「子どもの立場」からすれば、
そういうの、すごくつらいと想像しますね。

あのう、人と仲良くできる、人に好意をもてる、
誰かを愛することができるっていうのは、
とっても幸せなことで、子どもとしてみれば、
そういう幸せな中に生を受けたいっていうの、
心の奥底からの、もっと言えば、魂の願いだと、
私は思いますからね、それで、ある男性ですが、
自分の子を懐妊した、一応、元妻にですね、
堕胎するように迫った・・・って言うんです。

ところが、元妻は、元夫の言うことを聞かず、
赤ちゃんを産みました。
しかし、元夫は、その赤ちゃんがじゃまなので、
法律的な「親権」を自分が取得すると直ちに、
その子を元妻から奪い取ってきまして、
その夜は自宅に寝かせましたけど、翌日には、
他人のところに里子に出してしまったそうです。

それから数十年の時が過ぎまして、
その男性は、元妻のことを非難してるそうで、
「俺が『生むな』と言ったのに、
 言うことを聞かなかったひどい女だ」と、
世の中の人に語っているそうで、私はですね、
その元夫(子どもからすれば父)の発言内容を、
成長していい年になっているその人の子どもに、
「聞かせられない」と思いますね、
自分の子であるにもかかわらず、
そんなふうに言ってる父親の発言を、
その人の子どもにです・・・

あの、それ、残酷すぎると思うんですけど。

でも、社会には、そういう関係の親子もいるし、
実際ですね、「子どもがじゃまな親」って、
いるんですけど、子ども自身がですね、自分は、
親から「じゃまに思われた人間だ」って認識、
それこそ、ものすごく不幸だと思うことです。


幸福な人は、ありがたさが再認識できると・・・

世の中の一個人

09-20,2017

秋(5)
今日はいっぱい用事がありまして、
ブログを書くのが今になってしまいました。

あのう、昨日の続きを書くつもりでしたけど、
たまたまテレビをつけましたら、
次のようなセリフが耳に入りましたので、
予定を変更しました。

「俺、好きだ。
 ・・・美代子のこと。」

そして、ちょっと間を置いて言います。
「あの、女房だったからとか関係なく、
 そうじゃなくて・・・・・・・・・
 美代子のことが好きだ。」

昨日、何の気なしにテレビをつけましたら、
ちょうどその時、
NHK連続ドラマ「ひょっこ」を放送中で、
しかも、いきなり、上記のセリフだったんです。
そして、ものすごく印象深かったです、
そのセリフ。

美代子のことを好きだと言ったのは、
記憶喪失で妻の記憶も完全に失ってしまった夫で、
ですから、「美代子は自分の妻だった」というのは、
彼にとっては「人から聞いた話」でしてね、
彼自身としては、彼女が妻だった記憶が無くって、
ですから、記憶上は「他人同様」なんですね、妻が。

その美代子さんを、彼は、「好きだ」って言います。

まあ、いきなりテレビをつけてそのセリフですから、
ドラマの今までの流れがわかんないですけど、でも、
「女房とか関係なく、美代子のことが好きだ。」
・・・って、もう、そういう意味の言葉だけで、
私は「ひょっこ」って、
いいドラマだなあと思いました。

あの、「夫婦だから」とか「親子だから」という、
社会的な人間関係とは一切無関係に、
そういうことは全く別としてですね、ただ純粋に、
「一人の個人」として、相手が好きだっていうの、
また、相手を愛せるっていうのは、
すばらしくいいことだと、私は思いますし、
その延長線上に、好意をもてるし、愛せるから、
だから、夫婦として結ばれる・・・とか、
「子どもが愛おしい」って気持ちや、
「親が慕わしい」って気持ちが起こるのが順当で、
あのゥ、その反対にですね、
「夫婦だから愛さなければならない」とか、
「親は子を慈しまなければならない」、あるいは、
「子は親を慕い尊ばなければならない」なんて、
「作られた」・・・というか、ある意味、
社会的に「強いられた」感情を持たなければ、
ひどい人間と世間から糾弾されるなんてのは、
全く馬鹿げていて、不幸な話だと思います。

まあ、今日は、そういう話、書き足りないですが、
また今後、さらに書く機会もあるでしょうから、
今日はこれくらいにしまして、結局ですね、
言いたかったことは、夫婦とか、親子とか、
さらには師弟、上司と部下、その他いろいろ、
世の中の「密な人間関係」においてですね、
「夫婦だから」、「親子だから」といった、
「社会的につながりの深い関係」を持つから、
その理由で、人間関係が、
Aのようでなければならないとか、
Bのようでなければならないと「定める」態度、
そういうのは間違いであって、人はですね、
相手との社会的な関係とは全く無関係に、
相手を「個人」として認識し、
好きだってことも、愛することも、また反対に、
相手の反社会的行為を是認できない気持ちもまた、
「個人としての相手」に対して抱くものであって、
「親だから」、残虐さも子として受けいれるとか、
「夫だから、妻だから」ひどい行為も許すとか、
そういうものではないし、まあ、同じことですが、
「親だから」愛するとか、夫や妻だから「愛する」、
そういうんじゃなくってですね、
親子であろうが夫婦であろうが、そのこととは別に、
「世の中の一個人」として相手のことを認識し、
その相手に対して好意や愛情が持てるっていうの、
そういうのが本来だと思いますね。


「一個人」として相手を愛せるのがほんとの幸せ。

親子でも別の人間

09-19,2017

秋(4)
昨日に続けて、
韓国ドラマ「火の女神ジョンイ」の話ですが、
登場人物が、次のような会話をしています。

A「李郎庁より憎らしいのは、
  息子の李辺首のほうだよ。
  あんなに悪いやつとは思わなかった。」
B「李郎長の血を引く息子に、
  期待するだけムダです。」
C「血は争えないもんだろう。」

そういう会話を聞いていたのが、
ドラマの主人公「井」で、彼女はそれを聞いて、
「胸がつぶれる」思い・・・っていう様子を、
ヒロイン役の文瑾瑩は、上手に演じてましたね。

それで、今日の話なんですけど、
「親の血をひいている実子は、
 性質も親と同じなのか?」ってことですが、
あのう、身体的な特色は親に似てもですね、
精神的なものとか、心とか、魂に関しては、
「親とは全く無関係」と、それはもう絶対、
明確に「断言できます」ね、私は。

ですから、ドラマの主人公である井は、
親がどんなに魔人であっても、魔人の傾向が、
井に「移っている」ことはありえないんだと、
正確に知ることが大切だと思います・・・けど、
世の中ねえ、大部分の人は、
血のつながりがある親子なら、
その心も「同じ」というか、
「つながっている」と考えると想像します、
世間の多くの例を見ますとですね。

でも、もう絶対、血がつながった親子でも、
「心はまるで関係無い」んですけど、その話、
明日も続けたいと思います。


「親子」じゃなく、「人と人との関係」が大切。

個人と個人の関係

09-18,2017

秋(3)
世の中には、とんでもない人がいる・・・と、
思ってもですね、
「そうなっちゃう理由がある」ってこと、
あるんだと思う私です。

それで、放送終了の韓国ドラマ、
「火の女神ジョンイ」の主人公、井ですけど、
次のように言うシーンがあります。

「李郎長の子どもは李睦道だけです。
 私の父親も、柳乙潭だけです。」

ここでちょっと解説を書きますと、
李郎庁の「郎庁」というのは役職名で、
李郎庁の名まえは江天でして、
李江天は、井の実父なんです。

そして、柳乙潭というのは、
井の「育ての父親」なんです。

また、李江天は、井を実子と知ってもですね、
わが子としての扱いをしていません、
・・・と言うか、
わが子とは認めたくないんです、彼は。
なにしろ、井の母親が、
自分の子を懐妊したことを知った李江天は、
生まれてくる子はもちろん、
懐妊させた女性もじゃまなので、
「暗殺しちゃった」魔人ですからね。

それで、世間には、
自分の実父を「父親と認めない」という、
その理由をもって、井のことを、
「ひどい娘」だと思う人がいるだろうと、
私は思いますけど、でも、私は、
「それでよい」し、「当然だ」と思います。

あのう、前にも書いたことですけど、
人と人との社会的な相互関係よりも、
「生物学的な親子関係」を偏重する態度は、
不幸な態度だと思いますし、
親子関係と言ってもですね、それは、
社会的に独立した個人と個人の関係ですから、
「親だから」どうこうとか、
「自分の子だから」どうこうと言うんじゃなく、
共に社会生活を営む「一人の個人」として、
相手を大切にすることが大切なのであって、
それが、幸福な人間関係だと思うんです。


親子であっても、それぞれ独立した「他の人」。

暗黒の心を持つ親

09-17,2017

秋(2)
あのう、競争の場面で、
「負けたらうれしい」っていう人は、
普通の精神状態なら、「いない」んですよね。

ただし、「勝負にこだわらない」人というのは、
いっぱいいますし、正常な精神状態の一つです。

もちろん、「勝ってうれしい」のは普通です。

あの、ですから、勝負の場面でですね、
「勝て」なんて「言わなくていい」んですよね、
誰だって「勝つように」努力するんですから。

でも、世の中には、
「勝て」と言わなくてはいられないな人が、
いると思います、私は。

たとえば親が、子どもに「勝て」という場合、
私の想像ですけど、「負けることの不安」、
あるいは、「負けることに対する恐怖」が、
「親の心の中にある」んじゃないかと思います。

そういう親って、「負けたために」、
ひどいめにあったという心の傷や痛みから、
精神的に回復してない・・・というか、今でも、
「傷がうずいてるんじゃないか」と思います。

たとえばその傷というのは、
親の期待に添えなかった為、
親から「承認を受けられなくなった」とか、
まあ、そういう種類の心の痛みが多いかなあ?
・・・なんて想像します。

それで、一つ言えることは、
「親の期待どおりでなかった」という理由で、
子どもを責める親というのは、
「ありのままの子ども自身」のことをですね、
「愛することができない」親なんだと思います。

あの、「子どもを愛せない」親だからこそ、
親が子どもを「排除しなくていいように」、
「親の欲求を満たす子」でなければならない、
・・・ってわけだと思うんですけど。

つまり、親がですね、子どもに好意を持てず、
本心は子どもを排除し、廃棄したいんですが、
親という立場上、世間体をつくろう為には、
そうもいかないので、「やむをえず」、
いやいやながらでも子どものめんどうをみる、
そういう「つらい立場」に置かれた親が、
「嫌だけれど」子どもを保護する代償として、
子どもは親(自分)の「言うとおり」になり、
親(自分)の欲求を満たす人間になれと、
あのう、子を愛せない心理を赤裸々に書けば、
そういうことだろうと想像するんですけど、
人間社会の隠された一面を、
書きすぎてしまったでしょうかね、今日は?


社会の暗黒面も見ても、でも、幸福は消えません。

勝利を期待されても

09-16,2017

秋の雲
昨日の続きを書きますが、
放送終了の韓国ドラマ「火の女神ジョンイ」で、
李睦道という登場人物が気の毒です。

彼の父、李江天というのが、そうですねえ、
立身出世主義と言えばいいでしょうか、
とにかく、社会的な地位を得るためには、
競争相手をだます、陥れるなんてのは普通で、
それどころか、暗殺までしちゃう魔人です。

それで、年若い頃の李睦道は、
純真で向上心のある若者だったんですが、
親の李江天から、人との競争に打ち勝てと、
厳しく要求されますからね、それで、
父親からの「認められる」ためには、
「競争に打ち勝つ」しかなくなりますが、
でも、「競争」なので、いくら努力しても、
必ず勝つとは限りません。

それで、「負けたとき」に父から非難され、
息子としての立場がなくなることを「恐れ」、
「どんな手段を使ってでも」勝とうとして、
父親同様、卑劣な手段を使うようになります。

あの、「正々堂々の勝負」をしないでですね、
相手が勝負の場に「出られないように」企む、
・・・とか、そういう種類の汚い手法は、
父親の李江天には常套手段なんですけど、
李睦道も、同じように邪悪になっていきます。

以前、「スワンの涙」という、
テレビドラマの話を聞いたことがありまして、
主人公が水泳競技に出場の時、
自分のロッカーを開けてみましたら、何と、
試合に着る水着が切り裂かれてまして・・・

まあ、それは女性が主人公のドラマですけど、
李江天は地位の高い役職にある年配の男性で、
でも、「汚い手口」を行うのは、そうですねえ、
男女にも、その人の地位にも、無関係かも・・・

とにかく、世間には、
そういう卑劣な手段を行う人がいますけど、
私の感想としてはですね、
自分が「競争に負けた」場合、
自分は「承認が受けられなくなる」、
「叱られる」、「集団から除外される」、
「ひどいめにあわされる」などの、
「罰」を受け、自分の存在意義が「無くなる」、
そういう恐怖ではないかと想像するのですが。

ですから、ここはもう、
「どうしても負けられない」という、まさに、
せっぱ詰まった立場に立たされてるので、
その苦境を脱しようとするあまり、
「悪事だ」ってことを知りながらやっちゃう、
・・・ということではないんでしょうかね?

あの、ですから、世の中、「がんばれ」とか、
「勝て」とか、声援かもしれませんけどね、
それが、当人の心を追い詰めることだって、
あるんだと思う私です。

どうも今日は、楽しい話じゃなかったですが、
添付写真も、
不気味っぽい雲の写真になってしまいました。
数日前、夕刻の空に出てた雲なんですよね。


子どもに勝つことを要求する親は不幸の製造者。

良い面と悪い面が

09-15,2017

秋(01)
昨日は「偉くなりたい願望」というテーマで、
このブログを書きましたけど、世の中には、
「偉くなりたくても」ですね、現実には、
偉くなれない人もいるんですよね。

そういう人の中には、自分の願望を達する為、
「子どもを利用する人」もいると、
私は思いますね、世間のいろんな親子を見まして。

それで、自分の子どもに対して、たとえば、
「勝つこと」を強要する親もいますけど、
勝つのは「自分がうれしいこと」だから、
子どももまた、「勝てばうれしいだろう」と、
錯覚しちゃうんじゃないかと思うことです。

ところで、
自分が「優れたい」という気持ちには、
二種類あると思う私です。
一つは、優れたいという「健全な」願望で、
もう一つは、恐怖感などに由来する、
病的と言うか、不健全で苦しい思いなんですね。

それで、私は踊りが好きですけど、
ヘタでして、それは、稽古不足も理由でして、
でも、「上手に踊りたい」って気持ちがあって、
だから稽古するわけですけど、
「上手になりたい」という気持ちがあるので、
それで踊りの稽古をしてますから、
「楽しい」ことになってるんですよね、稽古も。

その場合、私は、
他人に「勝ちたい」という気持ちじゃなくて、
「上手に踊れる喜び」を求めてるわけなので、
そこが大切な点だし、幸福なことですね。

それで、「他人に勝る」とか「勝つ」ことは、
念願でもなければ目的でもないわけで、
強いて言えばですね、
「優れた踊り手」になれたらうれしいわけで、
「競争」とか「勝負」とは無縁の気持ちです。

さて、「競争社会」という言葉がありまして、
「競争させる」ことによって、
良いものを生み出していこうとするわけか?
・・・と思いますけど、でも、
ものごとには両面がありまして、
ある点で効果があれば、
別の点で弊害が発生するってことは、
どうしてもそういうことになるわけでして、
明日は、その弊害の面を書いてみたいです。


競争と無関係に向上を目指せることは幸福。

偉くなりたい願望

09-14,2017

夏(106)
12日に、「親の愛情とは?」という標題で、
父親がですね、息子の競争相手を、
「消しちゃう」ってことについて、それは、
「息子への愛情なんだろうか?」ってこと、
書きましたから、今日はその続きです。

あの、競争相手を排除したら、
彼の息子は勝者になれるんわけですけど、私の思いは、
そんな形で「勝者」にしてもらった当人(息子)は、
果たして「幸福なんだろうか?」ってことでして、
それは、当然、「幸福じゃない」のは確実ですね。

でも、それよりもっと根源的に重要なことですけど、
社会的に「勝者になる」ことが幸福だというのは、
全く誤った感覚だし、それはかえって、
不幸の根本原因になるということなんですね。

あのう、以前のことですけど、「勝ち組」とか、
「負け組」って言葉が聞かれた時がありまして、
その言葉をですね、たぶん、「感覚的に」捉えて、
使っていたんじゃないかって気がするんですけど、
なるほどねえ・・・と思うことがありまして、
世の中、確かに、勝者か敗者かってこと、
内心は「気にしてる」と思いますね、多くの人が。

それはですね、自分の社会的な存在価値みたいのが、
他人から、あるいは世間の人々から認められるのか、
それとも、ダメな人間で、「いなくてもいい人」と、
否認されるのか・・・っていう、当人にとっては、
「ものすごく」重要問題だからと思います。

それでですね、自分自身に対して「自信が無い」、
・・・って言ったらいいんでしょうかねェ、何か、
引け目みたいなものを感じてる人って、世間には、
多いんじゃないかと思いますけど、それがですね、
男性の場合だったら、競争社会で勝ち抜くことで、
「自分は偉いんだ、すごい人間なんだ」みたいな、
そんな自信を得たいっていうような気持ち、
あのゥ、熾烈かもしれないと想像するんですけど、
続きはまた次回に。


「偉くなりたい」人の心理的不幸を思ったことです。

縁故の人と一般人

09-13,2017

夏(105)
世の中、親類縁者に限らずですね、
たとえば「縁故採用」なんて言葉もあるように、
「知ってる人」だという理由で、
特別に優遇されるような風潮がありますけど、
酒気帯び運転をした町役場の職員に対して、
刑を軽くするよう、町長ら120人の職員が、
裁判所に嘆願書を出したってニュースのこと、
私は注目してましたが、判決が出たそうですね。

その嘆願に対して、検察側は、
「職員の飲酒運転に関して減刑嘆願を行うこと自体、
驚きと強い違和感を感じる」と言ったそうで、
いやあ、全く、「そのとおり、そのとおり」で、
町長は「罪を憎んで人を憎まず」って言葉、
言ったそうですけど、あの、その言葉ねえ、
いいんですよ、そうなんですよ、確かにねえ、
「罪を憎んで人を憎まず」って言葉自体は、
すばらしく「いいこと」なんですけどねェ、
この状況で使う言葉ではないですよね、全く。

あの、親が子を虐待し続けて、子どもの心が壊れ、
子が社会的に「生きていけない」情況に陥った時、
悪魔が「神を装って」、次のように言ったりすること、
あると思うんですけどネ、それ、想像だけですョ。
「罪を憎んで人を憎まずという言葉のとおり、
あたなたは、親を許さなければなりません」と。

そういう言葉って、社会的に生きるのが困難な人を、
さらに徹底的に痛めつけ、これ以降はもう、絶対に、
世の中で生きていけないように、
まさに「とどめを刺し」、その人を精神的に殺す為、
傷口に痛打を与る言葉であって、それは、
「悪魔のしわざ」そのものなんだと、私は思います。

話が脱線してしまいましたけど、今日書きたいのは、
「縁故者だから」という理由によって、
一般人と違う扱いを求めるという心情のことでして、
あの、それ、「一般の人」と「縁者」とを、
「分けて」考えるということでもありまして、
そういう態度が社会的に認められるとしたら、
世の中は腐敗の道を進むしかなくなるし、
結局は、人々の幸福が失われることになると、
私は思いますけどね、
「火の女神ジョンイ」の主人公についての話は、
今日、書けませんでしたから、また明日。


親でも子でも、夫でも妻でも、基本は他人との関係。

親の愛情とは?

09-12,2017

夏(104)
昨日の続きなんですけど、李江天は、
自国の陶工を、敵国に売り渡す企みを機会に、
自国の軍事・防衛情報を含む地図を、何枚も、
侵攻作戦をもくろむ敵方に渡してたんですよね。

ところで、李江天が、
外国に「売り渡す」計画だった陶工ってのは、
「火の女神ジョンイ」の主人公、井のことです。

ではなぜ、李江天は、
井を外国に売り渡そうとしたのかと言えば、
井を「排除する為」だったんですね。
李江天は最初、配下の刺客、馬風を使って、
井を殺害する計画を実行に移したんですけど、
企みがばれて、暗殺計画が失敗しちゃいました。

そこで、官窯のトップだった李江天は、
敵国の要請に応じて、部下の陶工を、
敵国に引き渡すことにしたんですけど、
その陶工こそ、ドラマの主人公、井でした。

李江天は、井を敵国に引き渡すことによって、
3つの利益があるわけです。
(1)仕事上、息子の唯一のライバルである、
   井を自国から排除することができる。
(2)井を売り飛ばせば、報酬が莫大である。
(3)秘密裏に敵国と通じていたことが、
   自国でバレてしまい、反逆者として、
   糾弾される立場に陥ったとしても、
   敵国に対して保護を求め、窮地を脱して、
   さらに、敵国を頼って生きる道が開ける。

あのう、李江天は官窯のトップでありながら、
官窯の製品を商人に横流ししてまして、
莫大な利益を得ていた人物なんですね。
なお、参考までに書きますと、官窯は、
王室の磁器製造部門で、まさに王室のために、
王室専用の磁器を製造する現業部門なので、
昔の日本で言えば、専売公社みたいなものです。

ですから、李江天がしたことはですね、
たとえて言えば、昔の「日本専売公社」で、
タバコ製造部署のトップが、
自分のところで製造したタバコを、
民間の商社に横流ししたようなもので、
業務上横領であり、背任行為なんですよね。

まあ、でも、彼の一番の罪はですね、
「表面化してない」んですけど、李江天が、
何人もの人間を暗殺してることでしょうね。

さて、李江天の罪状はさておき、彼がですね、
ドラマの主人公「井」の暗殺を計画して失敗し、
次の手段として、「外国に売り飛ばす」ことで、
息子である睦道の「競争相手を消そう」とした、
その行為なんですけど、それはですね、
親としての、息子への愛情なんだろうか?
・・・っていうことについて、次回、
書いてみたいと思います。

あのう、このブログ、
早く結論を書きたい・・・と思いつつ、
結論に至る「考え方の道程」を重視してまして、
ですから、結論に至るまでの思考の紆余曲折が、
「異常に」長いんですけど、お許しください。


親の愛情を偽装した子どもの虐待を見抜く必要が。

個人と個人の社会関係

09-11,2017

夏(103)
今日はまた、
韓国ドラマ「火の女神ジョンイ」から、
主人公とその父親の「親子関係」について、
一見、深刻に見える話を書きますが、実は、
不幸からの解放につながる内容です。

主人公「井」は、王子様から言われます。
「李江天の罪は重いが、お前の実父だ。
 お前が望むなら、
 極刑だけは免れるようにする。」

あの、極刑と言ってるのは、斬首刑のことだと、
私は想像します、なにしろ、国家反逆の罪ですから。

それに対して、井は答えます。
「悔い改める機会を自ら捨てた人です。
 あの人は今も、反省すらしていません。
 相応の罰を与えて下さい。」

さて、井の答えを聞いて、「子ども」なのに、
「親に対して」なんてひどいことを言うのかと、
世間には、そういう感想の人って、たぶん、
すごく多いと思います。

でも、それは・・・ですね、
社会的な人間関係とか、社会のルールを無視して、
人と人との社会関係よりも、
「生物学的な親子関係」を偏重する態度であって、
世の中の幸福にはつながらない態度だと思います。

そのこと、また明日、続けて書いてみたいです。


親子関係でも、社会的に独立した個人と個人の関係。

洗い落とす

09-10,2017

夏(101)
今日は、朝からちょっと遠出しまして、
ある会に参加したんですけど、
とっても「学び」になりまして、
幸運な私でした。

ところで、
汚れがついたら「洗い落とす」っていうの、
あのう、「洗い落とすことができる」って、
ほんとにすばらしいし、
なんて幸福なことかと思ってしまいました。

それは、韓国ドラマ「火の女神ジョンイ」で、
「何より許せないのは、
 あなたが、私の父親だということです。」
・・・というセリフを聞いた時でした。

世の中には、洗い落とそうとしても、
「落ちない」ものがありまして、
大切な衣類にシミをつけちゃった、
・・・なんて時は、
ほんとにガッカリしますね。

それで、「実の親子」という社会的関係ですが、
養子縁組と違って、「離縁できません」から、
もうそれ、「どうしようもできません」よね。

そして、世間には、「悪魔のような親」から、
ひどい仕打ちを受け続けてきた子っていうのが、
いっぱいいまして、でも、そういう子って、
嫌忌の極である親と・・・ですね、
「別人間」に「なれない」んですよね、
それは、「血がつながっているから」です。

そこで、ある人ですが、
次のような意味のことを言ってたそうです。
「自分には、
あの人間(その人の親)の血が流れている。
つまり、私は、「あの人間と同類」であって、
そのことは「どうしようもない」事実だから、
私もまた、あの人間と同じ悪魔であって、
何よりもそのことが一番打撃です」
・・・というようなことでしたね。

ですから、その人、
悪い点を「洗い流す努力」をしてもですね、
遺伝子と共に親から受け継いだ魔物の性分を、
払うことが「不可能」なわけで、ですから、
もう、その一点で「絶望」なんだそうです。

まあ、何とも気の毒で、でも、
どうしようもないことであって、
・・・なんて思いまして、いやあ、今日は、
心が晴れない話題を書いてしまいましたね。

それで、自分の中には、
「悪いものが内在していてどうしようもない」、
・・・とか、
もっと言えば、「自分は悪いものである」、
さらに、自分は「ダメ」であり、
他人から「非難される性質しかない」なんて、
まあ、そんなふうに自分のことを「思っちゃう」、
そういうのは、不幸の中でもですね、
ほんとに不幸からの脱出策が難しい、
悪質な不幸だと、私は思いました。


そんな情況でも幸福への道があることを書きたい。

親密な人間関係

09-09,2017

夏(100)
今日の私は、早朝から出かけてまして、
一日をたっぷり楽しく過ごし、夕刻の帰宅でしたから、
NHK「ひょっこ」を見ることができませんで、
録画しておきましたのを、先ほど見ました。

それで、今日は予定を変えて、
今日の「ひょっこ」の話にしますけど、
「ひょっこ」の登場人物、由香の言葉ですが、
「鈴子さんと買い物に行きたい」とか、
「お父さんと映画を見に行きたい」と言ってましたね。

あの、鈴子さんというのは由香のおばあちゃんでして、
要するに、由香は、「家出した状態」でしたけど、
父や祖母の元に「戻ってくる」ってことでしょうね。

それで、世の中には、親子とか家族がですね、
「心理的に」いっしょにいられない状況っていうの、
いっぱい、いっぱい見られるんですよね、実際に。

そして、由香の場合もそうだったんでしょうけど、
それでですね、今日の私の話を書きますと、
出かけてました行事が終わった後、
最後にいっしょだった人と別れる時、
とっても寂しい思いになりましたね、あの、
また、こういう機会はいっぱいあるっていうの、
それはわかるんですけどね、でも、今日はねえ、
ほんとに皆さんとの親密な交流が楽しかったと、
ほんとにその喜びがいっぱいでしてね、だから、
「ずっといっしょにいたい」って気持ちでした。

ですから、世間には、家族がいがみあってる家、
そして、親とか養育者が子どもをいじめる家って、
いっぱいありますけど、その悲惨さと不幸を、
すごく思ったことでした、なにしろ、
元々他人だった人との交流がですね、
「すばらしく幸せ」ってことがいっぱいある一方、
世間には、「親とか親族との関係こそ苦痛」、
・ ・ ・ って事例がとっても多数、あるからです。

それでね、今日の「ひょっこ」では、
娘の由香が、父や祖母との親密な関係を、
「取り戻したい」みたいな気持ちのようでしたから、
いやあ、とっても良いドラマの筋書きでしたね。

ただ、問題がありまして、社会関係でですね、
「親と子の関係」の中には、
「良い関係」も、もちろんたくさんありますけど、
親が子を「ひどく扱う」関係ってのがありまして、
さらにですね、親が子を利用して、
子を残酷に扱う情況になってるって事例もまた、
歴史上、いっぱい見られることでして、
それどことか、「歴史上」じゃなく、現在の日本でも、
そういうの、至るところに見られるんじゃないですか?
・ ・ ・ っていう現実の状況をこのブログに書いて、
「不幸に歯止めをかけたい」と思う私の意図です。


親密な人間関係が得られたら、幸福は間近ですね。

親が許せない思い

09-08,2017

夏(99) 
韓国テレビドラマ「火の女神ジョンイ」は、
今週、最終回を迎えて放送終了となりましたが、
初回からずっと、「親子関係」が描かれていて、
しかも、超不幸な親子関係なんですね。

それで、今日の話は、主人公の井が、
父親の李江天に言った言葉のことです。

井は李江天に言います。
「何もかも許せない」・・・と。

でも、次の言葉はさらに深刻です。
「何より許せないのは、
 あなたが、私の父親だということです。」

あのう、その言葉、その言葉ですけどね、
「あまりに重過ぎて」私としては、
このブログでどんなことを書けばいいか・・・と、
今、思案中なんですけど、それはですね、
世の中には、「ひどい親」を持つ人がいまして、
「親のために」自分の人生が狂わされ、壊され、
心に非常な痛みを受け、結局は、
「どう生きていったらいいかわからない」という、
まあ、つまり、「社会に適応できない情況」、
・・・と言いましょうか、何と言いましょうか、
「人と関係を結べない」、
「人と交流できない」レベルに陥ってしまって、
人生、どうにもならなくなってしまった人って、
世間には、実際にいるわけでして、
そういう人が親に対してどんな思いを持つか?
・・・ということの中にですね、
自分が「あの人間の子である」という事実、
その事実こそ、その人にとっては、
心理的に「決定的な打撃」だという例が、
多々あるようでして、そういうこと、
明日書ければと思いますが・・・


心の痛みを「思いやる」ことができない不幸。

認められたい

09-07,2017

夏(98)
昨日のブログに、私は、
「冷酷な人からは『離れる』のが
 不幸を避ける道」って書きました。

それで、昨日の話の続きですけど、
小学校にも満足に通わせず、
牛乳店の「労働力」として、
親戚の子を使役するなんてのは、
心が冷酷じゃないとできないわけでして、
そうしますと、子どもとしてはですね、
「情愛に飢える」という現象が起きますから、
何とかして自分を承認してもらいたい、
好意を持ってもらいたいという飢餓感から、
「ひどい」養育者にこそ、子どもはですね、
全身全霊で「尽くす」行動に出るわけで、
ですから、世の中、
相手を残虐に扱う人間ほど、
相手から「犠牲的な奉仕を受ける」なんてこと、
あるんですねェ。

まあ、似てるようなことですけど、
子どもを邪険に扱う親ほど、子どもからは、
「良くしてもらえる」可能性があるんですよね、
あの、親が子どもに「良くしてやる」んじゃなく、
子どものほうが犠牲を払ってですね、
親が喜ぶように「親に良くしてやる」んです。

なぜそうなるかと言いますと、子どもは、
もう何としても、親から認めてもらいたい、
親から良く思って欲しいと必死だからでして、
同じことを繰り返し書いてくどいですけど、
子どもにとってはそれほど「重要事」なんだと、
そういうことですね。

ですから、こんなふうに言うこともできます。
「ひどい親」であるほど、子どもは、
「親に尽くす模範的な子」になる場合があると。

ああ、でも、それができるのはごく一部の子で、
心情が優しく温かく、心清らかで、
ガマン強く、しかも能力的に優れた子しか、
そういうふうにはできないんですけど、
ですから、言えることは、
心優しく温かく、清らかな心で、
能力的に優れた子になればなるほど、
ひどい親の犠牲になる度合いが大きい、
・・・ということなんですね。

あのう、心理的に弱く、能力的にも低い子は、
「ひどい親」の下では「ダメな子」になりまして、
グレたり、心が壊れちゃったりするわけです。

それで、韓国ドラマ「火の女神ジョンイ」に、
李睦道が登場しますけど、彼の父が李江天で、
冷酷非情、自分の立身出世を求める男でして、
息子の李睦道には、
誰よりも優れて「他人に勝つ」ことを、
絶対に求めますからね、その苦しさゆえ、
李睦道はしだいに、
「勝つためには手段を選ばない」魔人に変わり、
自分より優れた結果を出す主人公に対して、
彼女は「卑劣な手段を使って、
自分を陥れたに違いない」というような、
とんでもない誤解・・・というか、あの、
自分の心が汚い人って、他人もですね、
心が汚いと思っちゃうものですから、
主人公の井は、「自分を打ち負かす為」、
謀略を行ったに違いないと、
李睦道は思っちゃったわけですね。
何と不幸な李睦道でしょう!

まあ、人間社会には、そういう「思い違い」が、
いっぱいあるなあ・・・というのが私の感想で、
自分が業績を上げますと、世間の人々から、
何か「裏の手口を使ったんじゃないか」なんて、
あらぬ疑いをかけられたりするなんてことも、
あったりするかと思いますが、でも、
「タチの悪い人」を想定して対応策をとる、
・・・みたいな「警戒」優先の人生行路は、
バカバカしくてつまんない面がありますから、
「心の健全な人」と交流する態度を堅持して、
人生を生きていくのが幸福だと思います。
世間には、性悪な人がいるんだってことが、
現実だとは言いましても・・・


まず自分が、健全な心で生きる、それが幸せ。

縁故者を「食い物」に

09-06,2017

夏(97)
今日のNHKテレビ「ひょっこ」を見まして、
川本世津子の今までの人生がわかりました。

彼女は昭和6年、埼玉県の農家生まれだそうで、
5歳の時、両親を病気で亡くし、
東京で牛乳店を営む叔父夫婦に引き取られ、
6歳になっても小学校に満足に行かせてもらえず、
牛乳店の仕事をさせられたそうです。

やがて彼女は映画俳優になりますが、
得た金銭を叔父夫婦にやっちゃうんですね。
それで、叔父夫婦は金を使い放題の生活で、
ついには、ギャンブルで借金ということに・・・

そういう経緯の後、叔父夫婦に対して、
金銭を自分に頼らないよう、世津子が言いますと、
叔父夫婦は、
世津子を破滅させる悪だくみを敢行しましたから、
世津子の俳優人生は終わろうとしてるんですよね。

ああ、そうねえ、そうねえ・・・と、
私は思いましたけど、世の中、そういう類の話、
あったりするんですよねェ。

あの、確かに「自分の子」じゃない娘を育てた、
・・・というか、
5歳の時から彼女のめんどうをみたわけですけど、
満足に小学校にも通わせないで、
牛乳店経営の「労働力」として使役したんですから、
世津子には、叔父夫婦に感謝する筋合いは、
「無い」と思いますね、私は。

でも彼女は、そういう叔父夫婦に、
映画俳優で得た大金を貢ぎ尽くしたわけですね。

それで、客観的に両者の社会的な関係を見ますと、
世津子は叔父夫婦によって、
「食い物」にされてますよね、明らかに。

そして、世間には、上記の例とは無関係ですが、
子どもを「食い物にする親」っていうのがいて、
子どもにとっては決定的に不幸なことでして、
まあ、続きはまた明日ということに・・・


冷酷な人からは「離れる」のが不幸を避ける道。

魔性の人間

09-05,2017

夏(96)
「すること」が次々にありますと、
全くたいへんだなあ・・・という感想ですが、
でも、それだけ「楽しめる」ことですから、
良いことだってことでもあるんですが、でも、
今日のように、集まりを早退して、
医院に治療に行くなんてのは、
時間的に余裕が無くなりますからねえ。

けれど、命にかかわる病気とか、
そんなんじゃないってことだけでも、
ありがたいことだし、何よりもですね、
「心に深刻な問題を抱えてない」ってのが、
一番の幸福かなあと、私は思います。

それで、今日もまた、
「火の女神ジョンイ」の不幸な話題ですけど、
主人公である井は、
李江天が自分の実父であることを知りました。

井が李江天に尋ねます。
「母は、なぜ私を産んだのです?
 どうして、あなたの子を身ごもったのです?」

李江天は次のように答えます。
「蓮玉は、師匠の私を、恋い慕っていたのだ。
 私も、蓮玉のことを大切に思っていた。」

それを聞いた段階で、ほんとに私は思いました。
世の中には、事実と正反対のウソを言う人間って、
まあ、なんとたくさんいるんだろうと。
あの、同類のウソつき人間を、私は、
実際に知ってますから、なおさらですね。

それで、蓮玉というのは井の母親でして、
李江天は、自分の子を懐妊したという理由で、
蓮玉がじゃまな人間になってしまいましたから、
昨日書きましたように、手下の馬風に命じて、
蓮玉を「殺させた」んです。

あのう、その話ですね、
男自身に責任があるのに、
懐妊した女性が「じゃまになる」という構図、
世間にはいっぱい見られると思いますけど、
そういうの、不幸の極だと私は思います。

さて、李江天は、自分の陰謀の為に、
蓮玉をだまして利用した過去がありますし、
蓮玉をひどく扱っていた李江天ですからね、
「蓮玉を大切に思っていた」なんていう大ウソが、
よく言えたものだと思いましたし、
全く胸が悪くなる気分でした。

だいたい、李江天はドラマの中でたびたび、
蓮玉の悪口・・・というか、蓮玉を非難しています。

ですから、李江天の言葉に対して、井は言い返します。
「ウソをつかないで!
 あなたは、母のことをこう言った。
 『沙器匠になると意気がった。』
 大切だった人に対する言葉ですか!」

ああ、そうですねえ、井の言うとおり、
李江天が蓮玉のことを大切に思ってたなんて、
絶対に、120パーセント、「ありえない」です。

でも、世間には、黒を白だと平気で言う人が、
星の数ほどいまして、社会生活を送る上では、
そういう人も避けて通れないわけですから、
ある程度は「人を見る目」を養っておかないと、
自分が悲惨なことになったりするんですよね。

・・・と言いましても、子どもの場合は、
親が魔性で、地獄を生きる人間だったとしても、
そんなことを見抜く力はないし、
「親に適応」しなければ生きてゆけませんから、
たとえば李江天の息子である李睦道なんて、
親の影響で「魔性に変えられる」わけでして、
ドラマには、魔が深まる過程も描かれてますから、
見ていて「学び」になりますね。


心の明るさ、温かさを保持していられるのは幸せ。

理解できない人

09-04,2017

夏(95)
昨日に続いて「火の女神ジョンイ」ですが、
登場人物の中に「馬風」という男がいまして、
彼は、李江天に仕える手下として、
暗殺も命じられる役で、主の李江天に頼まれ、
ヒロインである井の母、蓮玉を殺し、
井の育ての親(養父)である柳乙潭を殺し、
井の殺害を李江天に命じられてたんですけど、
井の殺害は未遂に終わってしまいました。

そのため、馬風は、「口封じ」のため、
李江天によって毒を盛られ、
殺されちゃったんですけど、
「自分は李江天に殺されるだろう」ということを、
馬風は「知っていた」と、
ドラマでは言ってました。

そこで疑問です。
「頼まれたから人を殺す」とか、
最後は「自分も殺されちゃう」ような人生を、
彼は、どうして「選んだ」んでしょうか?

彼は、李江天と絶縁して、
「他の幸せな人生を選択する」ということを、
どうして「しなかった」んでしょうか?

また、彼は、「井が李江天の実子である」ことを、
最初から承知していました。
ですから、彼は、
「李江天の実子殺し」を引き受けたわけですが、
李江天に対しては、井が李江天の実子であることを、
告げていません。

また馬風は、井が李江天に怨恨を持ってることを、
十分に承知してまして、
将来、井が李江天を叩きのめすことを、
密かに期待していることを示すシーンがありました。

そんなわけで、馬風は、実親子の相克どころか、
殺し合いになる状況を願ってまして、それが、
李江天に対する彼流の復讐なんだってこと、
あるシーンで言ってました。

自分も不幸・・・どころか地獄の状況を選択し、
他人も地獄に堕ちることを願ってるみたいのが、
馬風かなあと思いましたから、
今日のような標題にしましたけど、
世の中、そういう傾向の人もまた、
「いる」んだと思いますし、
この社会にはいろんな人がいろんな人生を生き、
中には、「幸福への道」を「選ばない」人も、
私の想像では、「たくさん」いると思います。

まあ、世間一般には、
「不幸を望んで幸福を避ける」ような人は、
いないんじゃないかと考えられがちと思いますが、
私の感想では、いやいや、そんなことはなくって、
「不幸にしがみついてる人は多い」、
・・・と想像することです。


自分の「幸福が願える」気持は、幸福の源だと。

孤立無援

09-03,2017

夏(94)
今日は用事が多いので、ちょっとだけ書きますけど、
現在放送中の韓国テレビドラマ、
「火の女神ジョンイ」に登場する沈火霊なんですが、
彼女、子どもの頃は、
とっても良い子だったんですよね、純真だし。

でも、ドラマが進行するにつれて、
彼女は大きく変化します・・・けど、このブログは、
ドラマのストーリー紹介が目的じゃありませんから、
彼女の「変化の理由」を中心に書きたいです。

さて、社会生活というのは、「人と人との関係」で、
他の人との「和やかで温かい関係」に恵まれますと、
人の心はおだやかに、優しく、親切になるんだって、
ほんとに私はそう思います。

でも、世の中の実情はそうじゃない面も多くって、
沈火霊自身は「なんにも」悪くないのに、
いやいや、それどころか、良い性質を発揮してるのに、
「つらいしうち」ばっかり受ける運命なんですね。

それで、彼女にとって一番気の毒だと思うことは、
彼女を「助けてくれる」人がいないってことで、
この厳しい世間に、「頼る人もなく」放り出され、
「心を通わせられる人」や「親密な人」というのが、
いなかったんですよね。

結局、一人、孤立無援のまま、
世間の荒波をかいくぐるしかないわけで、
そうしますと、生き残るため、勝ち残るため、
非常手段もとっちゃうというわけでして、
ドラマの中で一番魔性が強烈な人物、
李江天は次々に「邪魔な相手」を殺しますけど、
火霊もまた、刺客を使って主人を殺すんですね。

それで、元々純真だった火霊が、
次第に魔性を帯びていく様子が、
ドラマには描かれてますけど、
まあ、「ひどいめにあわされた」人が、
他人をひどいめにあわせるようになるとか、
純真さを失って魔物に変化していくってことは、
「人の世」には、多々見られることだと思います。


周囲の人に恵まれて、純真でいられることの幸福。

魔性の親とは断絶

09-02,2017

夏(93)
TBS日曜劇場「ごめん、愛してる」に登場する、
塔子なんですけど、彼女の言葉の中に、
「パパに勝ったことにならない」ってのがあります。

また、塔子が結婚しようとしたのは、
「パパに見せつけるため」だったとも言ってるんです。

そこで、私が言いたいのは、塔子って、心理的に、
「パパから離れられない」みたいだってことなんです。

さて、「腐れ縁」という言葉がありまして、
くっついていても良いことが無いから、また、
いっしょにいても互いに不幸になるばかりだから、
「離れよう」と思うんだけど、でも、なぜか、
「なぜか」離れることができないっていう関係が、
「腐れ縁」なんでしょうか?
世の中には、そういう関係っていうの、
たくさん見られますよね。

ところで、親子というのは、
「絶縁が難しい関係」なんですけど、でも、
世間には親子の不仲なんて普通にありますし、
虐待の関係とか、相克関係とか、さらにまた、
子殺しとか尊属殺人まで、いろいろありますから、
私はやっぱり、「実の親子」であっても、
不幸な関係の場合はそれを切るために、
「断絶するしかない」状況も多々あると思います。

まあ、社会的には・・・と言いますか、
法律上は、血縁関係にある親族とは、
縁を切ることができないわけですけど、
「戸籍上の実親子関係」が、
「書類上は」存在するとしても、
実質の人間関係では「無縁の他人」になることで、
それで初めて両者とも、
「地獄の人間関係から解放される」ことって、
あると思います。

あのう、世の中には、
子どもが成長して「家を離れても」ですね、
「遠くに暮らしている親」が、子どもをですね、
実質的にリモートコントロールしてる例なんて、
普通に見られまして、
それどころか、「親が死んだ後も」、
子どもが心理的に親の影響下にあるなんてこと、
世間には多々見られることなんですよね。

それで私は、互いに不幸に陥る関係なら、
親と子は「断絶すべきだ」と考えます、ホントに。

まあ、それで、現在放送中の韓国テレビドラマ、
「火の女神ジョンイ」なんですが、
登場人物の李睦道は、
父親である李江天が原因で、
不幸を背負うことになってますからね、
彼が救済されるには、
父親との断絶が不可欠だと思う私です。

・・・そこで、主人公の井は、李睦道に対して、
彼が父親の「真の姿」を知ることができるように、
手助けしようとしてるわけですけどね。

あのう、元々純真だった李睦道なんですけど、
魔道に陥っている父親の影響をまともに受けて、
彼自身も地獄の道を歩むようになってますからね。


純真さを守り通すのは最高に幸福な道と思います。

ねたまれ防止

09-01,2017

夏(92)
上記の標題で、今日のブログの原稿を書いてましたけど、
パソコンで書いてる関係上、「失われて」しまいました。
あの、書いた内容が「保存できない」トラブルが生じ、
対策をいろいろしているうちに、何かのミスで、
結局、完成原稿は失われてしまいました。

まあ、人生、そういうこともありますから、今日は、
失われてしまった原稿には「書けなかった部分」だけ、
改めて書かせていただきます。

あのう、世の中には、
「自分はどうしてこんなにダメなんだろう」と、
悲観する人もいるかと思いますけど、
今日話題にしたかったAさんもですね、
人前で自分がほめられる場面を「避けた」態度について、
Bさんから忠告を受けまして、
あの、その忠告というのは、
Aさんのすばらしい働きをみんなの前で紹介し、
Aさんの業績に感謝する場だったのに、
あなた(Aさん)は、
その「栄誉の場」を避ける態度に出ましたけど、
その場から席を外すなんて、
皆さまに対して何という「失礼な態度か」と、
BさんがAさんのところまでわざわざやってきて、
注意してあげた・・・ってことでして、
あの、Bさんの気持ちとしてはですね、
Aさんのことを話題にしてるのに、
肝心のAさんが「席を外す」って事態になると、
Aさんがみんなに悪く思われる懸念がありますから、
それで、Aさんが「悪く思われないように」という、
親切な配慮から、そういう忠告をしたわけでした。

そうしましたら、Aさんは「すぐさま」反省し、
皆さんの前に戻って感謝の言葉を受けましたけど、
その後、Aさんはですね、
「自分はなんと『至らない人間』だろう」と、
悲観したみたいなんです、
自分の態度を客観的に見ることができましたから。

それで、失われた原稿には、
そうなった心理的理由を書いたんでしたけど、
結局Aさんは、多くの人々、仲間の方々の前で、
「自分が賞賛される」事態は、もちろん、
Aさんにとっては「うれしいこと」なんですけど、
そうなりますと、仲間の誰かが「Aさんをねたみ」、
嫉妬ゆえにAさんを攻撃したり、
表面的攻撃だけならまだいいんですけど、
陰湿ないじめを展開するようになる・・・という、
まあ、そういう事態になることを恐怖してですね、
「自分が賞賛される場」を「見せないように」して、
世間の人がAさんをねたみ、
Aさんをひどいめにあわせてやろうという悪意から、
「自分を守ろう」とした「無意識の行動」、
そうなんですね、それはAさん自身も気付かない、
全く「無意識の」対応策だったということで、
いやあ、世の中を泳ぎ渡るって、すごいことだなあと、
その話から、私は感じました。

そうですねえ、この人間社会、
ねたみ、嫉妬によって、「うらやましい相手」を、
破滅させるたくらみ・・・なんてのは、
女の世界にもありますけど、男の社会だって、
歴史上、枚挙にいとまがないほど「あります」ね。

そしてまた、今放送中で、私が見てます韓国ドラマ、
「火の女神ジョンイ」では、ほとんど毎回、
「ねたみによって相手を破滅させる」ストーリーが、
繰り返されてまして、今のところ、
TBS日曜劇場「ごめん、愛してる」を話題にして、
このブログを書いてますけど、一段落しましたら、
「火の女神ジョンイ」の登場人物に例をとって、
「不幸な人生」について書いてみたいと思います。

あのう、テレビドラマで「不幸の原因」を知り、
その反対を実行して「幸福な生き方」を目指すなら、
娯楽を主体としたテレビドラマを見ることもですね、
「おおいに価値あること」と思う私です。


どうして不幸になるのかを知って、幸福な道を考える。

人に対する信頼

08-31,2017

夏(91)
「人を信頼できる気持ち」って、それは全くもって、
「幸福の源泉」なんだという確信的な思いが、
私にはあります。

ですけど、この世の中、
人を信頼「できない」って状況は、
至るところに、たくさん見られるんですよね。

まあ、社会は実際、弱肉強食という面を持ってまして、
そうしますと、社会生活を営む限り、
「人に優しく、温かく」・・・だけでは、
生きてられない状況が普通にあるかと思います。

そこで、身を守り、相手に対抗する必要上、
自分も「悪」になる手法っていうのは、
世間によく見られるパターンかもしれません。

それで、「いじめ」を受けた子どもがですね、
その後、他の子を「いじめる側に回る」って現象も、
あるみたいですけど、もしかしたら・・・ですが、
子ども時代に親から冷酷な仕打ちを受けた子どもが、
親になったら自分の子を虐待するっていう図式も、
同じようなパターンなんでしょうかね?

まあ、子どもが親から痛めつけられるのは、
大人同士の抗争と違って、ものすごく惨めなことで、
その理由ですが、
「虐待者から逃れられない」ってことなんです。

あの、子どもは、親が虐待者であっても、
「親に適応して生きる」ことしかできないわけで、
TBS日曜劇場「ごめん、愛してる」に登場する塔子は、
「父親の影響」を「決定的に」受けて、
自分の人生を狂わされていながら、それでも、
「父親から離れよう」とはしないわけで、
その後、父親が亡くなってからも、
すでに身についた行動パターンは変わらないわけです。

つまり、塔子の心は、父親の生死に関らず、
父親の影響下にあるわけで、そういう現象って、
世間の親子関係では普通に見られると思いまして、
この話、また次回以降に続けたいと思いますが、
明日はちょっと別の話で、
無意識のうちに「ねたまれるのを防ぐ」、
・・・という行動について書きたいと思います。

なお、今日の添付写真は、
虫喰いの花と葉になってしまいましたが、
世の中には、「目には見えません」けど、
ボロボロに破れ荒んだ心を持つ人って、
ずいぶんいるのかもしれません。


「無意識のうちにしてる」不幸な行動って、ありますね。

悪魔が喜ぶ行為

08-30,2017

夏(89)
今日は午前も午後も行事で外出してましたけど、
特に午後の行事は運営を任されてましたので、
喜ばしく開催できましたけど、疲れましたね、少しは。

でも、参会の皆さまに楽しんでもらいたいという気持ち、
まずはそのこと第一に行ったことですから、
疲れたとは言いましても、喜んでもらえれば、
私自身、うれしいし、心は満足です。

・・・で、話題は一転しまして、
昨日に続いて塔子のことなんですけど、
塔子は自分を軽んじ、自分を害する男性としか、
交際できないってことを、昨日書きました。

でもねえ、それでも塔子は、
相手の男性を傷つけることはしてませんね。

ところが、サトルに対しては違いまして、
塔子は・・・ですね、ありのままの塔子を全面的に愛し、
塔子を受けいれ、塔子に献身的に尽くすサトルと、
婚約までしたわけですけど、それなのに、
サトルに破談の態度を示し、次のように言い放ちます。
「私、あなたのこと、
 好きになったこと、一度も無いの。」

このことは、数日前のブログにも書いたことですけけど、
それって、自分に対して一番心を寄せてくれる人を、
痛打・・・どころか、撃滅してるってことですよね。

いやあ、それ、すごいですね、
あの、社会生活を営む限り、
他人から打撃を受けるってことがあったりしますけど、
でも、これほど決定的で、痛烈、激甚な打撃を受けるって、
むごいことだと思います、ほんとに。

あのう、「愛する人から」受ける「むごい仕打ち」って、
心がえぐられると思うからです。

まあ、ですから、親や養育者が子どもを虐待するって、
悪魔的なんですよね・・・ほんとに。
でも、そういうことはまた別の機会に書くことにしまして、
世間には、結婚直前までいきながら、いきなり、
・・・そうなんです、「いきなり」ですね、
相手の男性にひどいことを言ったりして、
結婚話を壊しちゃう女性っていうの、
世間にはある程度の数、いるようですけど、その場合、
相手の男性の気持ちを思いますと、「気の毒」とか、
とてもそういう言葉では表現できないものがありますね。

想像しますに、男性が受ける打撃、その惨めさは、
どれほどでしょうか・・・

あの、今日は、
「自分を愛してくれる人を攻撃する」タイプの、
超不幸な行為の話を書きましたけど、
「自分に敵対する人を攻撃する」なんてのとは、
異質も異質で、全く悪魔の態度ですからね、
そういうのって、不幸を世の中に撒き散らすことで、
「悪魔が喜ぶ」行為だと思います。


他の人に楽しんでもらいたい気持ちは、喜びだし幸せ。

不幸を求める性向

08-29,2017

夏(88)
今朝は北朝鮮がミサイルを発射し、
北海道上空を通過したニュースで、
私は午前6時をちょっと過ぎた時から、
テレビをつけてますけど、一部のローカル局を除いて、
どのテレビ局もそのニュースですね、現段階では。

さて今日は、おとといの続きを書きますけど、
ドラマには、塔子が交際している男性の姿が、
何人も登場しますけど、まあどの男性も、
誠意が無くって、自分のことしか考えないような、
軽薄な男性だという共通点があると思いました。

そして塔子は、自分を軽んじ、
結局は自分を害することになるような男性しか、
交際相手として選べないという性質があるようで、
同じようにですね、世の中には塔子に限らず、
「自分を不幸に陥れることになる」男性としか、
縁を結べない女性っていうのがいるわけです。

それで、兇悪な男性との結婚生活が破綻した後、
「今度こそ」失敗しないようにと心に決めながら、
でも、次もまた、超ダメ男を選んじゃう女性って、
世間には、普通に多くいるみたいですね。

ところで、話は変わりますけど、昔、
ビー・バップ・ハイスクールとかいう映画か何か、
あったようで、すごい高校生が出てくるそうですが、
まあ、それよりはヤンキーの度合いが低いにしても、
一目でそういう系統だとわかる高校生の話を、
以前に聞いたことがありまして、
たとえば修学旅行で「自由外出」の時なんか、
彼らはすぐにサングラスをかけたり、
タバコを吸ったりで、でも、修学旅行から帰校後、
旅行先で知り合った女子高校生の話なんかを、
自慢げにしてるし、また、それはウソじゃなくって、
実際に連絡を取り合ったりとか、要するに、
旅行先で「仲良くなった女の子」がいるわけで、
ですから、ヤンキータイプの青年にですね、
交際する女友達ができる、しかも、
「すぐにできる」みたいなことは、
世の中によくあることだと思いますし、
・・・と、いうことは、
女性に対する誠実さとか、やさしい気持ちなんて、
カケラも持ち合わせていないチャラい男が、
女の子にモテるなんてことが、
世間では普通に見られるってことですね。

まあ、別にねえ、どういう男性を好きになろうと、
それは、その女性当人の好みですけど、
塔子の場合は、彼女を「幸せにしない男性」と、
なぜか交際しちゃうってことで、
私は、どうしても「そうなっちゃう」というか、
自分をひどく扱うようなタイプの男性を、
嗅覚鋭く嗅ぎ分けて、つきあう相手に選ぶという、
そこのところに、不幸体質・・・というか、
さらに「不幸を求める」性向みたいのを感じまして。


幸せが「まぶしくて耐えられない」人って、いるかも。

喜べるかどうか

08-28,2017

s-DSC00483.jpg
昨日の続きを書くのは明日ということにしまして、
今日は、「喜べる」ということについて、
ちょっと書いてみたいと思います。

あのう、世の中の人を二つに分類しまして、
一つのタイプは、今の状況とか自分自身を「喜べる」人で、
別のタイプは、どうしても「喜べない」人です。

「喜べる」タイプの人は、
現在の自分に与えられているさまざまなことに対して、
感謝できるし、うれしく感じられる人だと思います。

たとえば私は、病苦や肢体不自由の現状でもなく、
借金地獄とか、食料も買えない窮乏状態でもなく、
朝は気分良く目覚めることができるという、もう、
それだけでも非常に恵まれていることに感謝で、
「輝くばかりのすばらしい自分」なんて幻想を、
「抱く必要も無い」という幸福を喜ぶものです。

さて、南方録に、
「家居の結構、食事の珍味を樂とするは俗世の事也、
 家ハもらぬほど、食事ハ飢えぬほどにてたる事也。」
・・・という記述がありますけど、世の中には、
金殿玉楼に住み、山海の珍味を食しながら、
なお、心満たされること無く不幸を抱えて生きる人が、
たくさんいると想像します。

それで、世間には、金銭財産に恵まれ、
社会的な地位も高く、肩書きも立派で、
人々からうらやまれる立場を得ていますけど、
心が不満でいっぱいの人って、いると思いますね。

あのう、そうしますと、「幸福の根源」は、
金銭財産、社会的な地位や肩書き、名誉などとは、
また「別のところにある」ということが、
見えてくると思います。

まあ、今日のところは、
これで話を終わりにしますけど、
ああ、今日「も」良かったなあ、
明日は○○しよう・・・と、
そんなふうに日々を過ごせることって、
とっても幸福なことだと思います。

最後に書きますけど、
「びっくりするほどすばらしいこと」なんか無くっても、
「今日は良かった」って感じられるんでありまして、
また、「すごい計画」なんかじゃなくたって、
明日の計画を今から楽しめるわけでして、
そのう、どんなふうにたとえましょう、そうですねえ、
「豪華絢爛 」に飾られた花々なんかとは全く違い、
ささやかに、ひっそりと咲く、地味な野辺の花にも、
その美しさを感じ取ることができる・・・みたいな、
そんなことでしょうか。


今の自分の幸せを「感じ取れる」って、大切ですね。

不可解な態度

08-27,2017

夏(86)
TBS日曜劇場「ごめん、愛してる」の塔子ですが、
サトルのことを、
父親にこんなふうに話していました。
「世の中にはさ、パパなんか想像もつかないような、
 やさしくて誠実な人、いるんだよ。」

ですから塔子は、サトルのやさしさと誠実さを、
もう、十分にわかってるんだってことです。

それで塔子は、サトルといっしょに、
婚約披露パーティーを企画して、
華やかに行いました。

その後、塔子のパパが死んじゃったあとの話ですが、
サトルは言います。
「僕は、塔子のこと、幸せにしたいと思っていた。」

もちろん塔子は、そういうサトルの気持ちを、
「知り尽くして」いるわけです。

ところが、塔子は、サトルに言うんですね。
「私、あなたのこと、
 好きになったこと、一度も無いの。」
・・・もちろん、
結婚は「無し」という意味なんですね。

ガガーン!
それって、サトルにとっては晴天の霹靂、
心が破壊される強烈な一撃だと思いますが、
今日書きたいのは、
自分に対する男性の真心、誠意、そして愛情を、
「わかりきってる」のに婚約を解消し、
「破談にする」・・・いや、
「破談にせざるを得ない」塔子の心なんです。

二度と再び現れる可能性がほとんど無いような、
「そのままの自分に愛を捧げてくれる男性」と、
婚約までたどりつきながら、でも、
自分にとって「愛と幸せの権化」である男性を、
彼女は「受けいれることができない」んですね。

そのことこそ、今日書きたかったことで、
世の中には、幸せになる道がありながら、
その道を選ぶことができない人がいまして、
自分に幸福をもたらしてくれることが、
もう「確実」だとわかっている人がいても、
なぜか、その人を拒絶してしまうなんて人間が、
やっぱりねえ、世間には「いる」んですね、
実際に「いる」んですから不思議です。

まあ、この社会、「いろんな人」がいることは、
それはわかってることですが、不可解なのは、
「自分に幸せをもたらしてくれる」人を、
なぜか、かえって遠ざける人間がいるってことで、
まあ、今日は、そういう事実を書くだけにします。


幸せを「素直に受けいれられる」のが健全な心。

子をメチャクチャに

08-26,2017

夏(85)
昨日私は、「人の『苦しみ』に
無関心でないという温情と幸福」なんて言葉、
書きましたけど、でも、でも・・・ですよ、
相手に対する温情なんて沸かないのに、
「温情が無い自分はダメ」だっていう恐怖感から、
「温情を持ってる自分」を演出し、偽装するとしたら、
それこそね、地獄だと思います。

この世の中、自分をひどいめにあわせた相手には、
怒りや恨みを抱くのが当然ですし、
復讐しようって気持ちだって起こるわけでして、
今放送中の韓国ドラマ「火の女神ジョンイ」には、
そういう心情が描かれてますけど、そのドラマは、
「自分たちを虐待し、殺そうとしたり、
実際、身内の人々を殺した相手に対してまで、
慈しみを向けなければならない」なんていう、
何と言ったらいいでしょう、
自分をひどく扱う相手に慈愛を捧げるみたいな、
一種、倒錯したような心情は描かれてないので、
その点では、悪魔的じゃないです。

話は飛躍しましたが、世間には、子どもを虐待し、
子どもの心をズダズダに引き裂き、
子どもの心を破壊しちゃう親とか養育者っていうの、
いっぱいいましてね、子どもは悲惨なことになりますが、
TBS日曜劇場「ごめん、愛してる」の塔子だって、
パパのために「心を破壊された子」なんですよね。

さて、その塔子は、「サトルと結婚する」って、
パパに言ったんですけど、
「ごめん、愛してる」の第6話で、
パパが死んだ後、塔子はサトルに言うんですね。

「私、気がついちゃったのよね。
 あなたと結婚しようと思ったのは、
 パパに見せつけるためだった。
 パパのせいで、人生メチャクチャにされたけど、
 私もちゃんと幸せになれるって、
 言ってやりたかったの。
 だから、
 パパが死んじゃったらもう、
 意味が無いのよ。」

それに対して、サトルは言います。
「僕は、塔子のこと、幸せにしたいと思っていた。
 塔子となら、幸せになれるって。」

でも、塔子の返事は次のようです。
「それは無理!
 ごめんね。
 私、あなたのこと、
 好きになったこと、一度も無いの。」

さて、塔子のその言葉を例にして、私は、
ここに書いておきたいことがいくつもあります。

まず最初は、「パパのせいで、
人生メチャクチャにされた」っていう言葉ですが、
社会的には成功をおさめ、「立派な人」だと、
世間の人々から見られている人の中にもですね、
親として、
子どもの人生をメチャクチャにするような人って、
実際に「いる」ということなんですね。

ああ、でも、そういう親って、自分のせいでですね、
子どもの人生がメチャクチャになった・・・なんて、
全く思ってもいないことって、普通にあると思います。

でも、そのことは一大テーマで、
詳しく書きますと膨大な文章量になりますから、
今回は省略しまして、ただ、
「そういうことがある」ってことだけを、
言っておくだけにしたいと思います、ここでは。

それで、次回以降、塔子を例にして、
「悪縁」についても書きたいし、
自分に対する誠意や愛情を「受け取れない」という、
不幸極まりない心情についても書きたいし、
自分に良くしてくれる人を攻撃し、
破壊しちゃう超不幸な態度についても書きたいし、
自分をメチャメチャにしちゃう兇悪な人間としか、
付き合うことができないという地獄の人生のことも、
書くしかないし・・・で、まあ、次回は、
どれから書きましょうか?

ここで余談ですが、ドラマでは塔子の人物像が、
「自分をひどく扱った父親」に対して、
それでも至誠と愛情を捧げなければならない、
・・・みたいな思いに束縛されてない設定で、
その点はいいですね。

あのう、「自分をひどく扱った親」であっても、
子として「親を許し、愛さなければならない」とか、
聖人ぶってそんなことを言う人こそ、
「相手の傷口を狙って攻撃をかける」タイプの、
悪魔ですからね。

まあ、今日のところは、自分の子どもとか、
自分が養育する子をですね、
メチャクチャに破壊しちゃう人がいるという、
その事実だけは、
しっかりと書いておこうと思います。


世の中、幸も不幸もあり、「幸せ」の選択を!

どっちが冷酷非情?

08-25,2017

夏(84)
TBS日曜劇場「ごめん、愛してる」の登場人物、
塔子の話を続けますけど、
婚約披露パーティー後の二次会の場で、
塔子の父が入院する病院から電話が入り、
看護師が塔子に伝えます。

「お父様のご容態がだいぶお悪いので、
 この二、三日が山です。
 すぐに来ていただけますか?」

塔子の返事はこうです。
「分かりました。
 今、手、離せないんで」
・・・と言ったところでちょっと間を置き、
「時間できたら、行きま~す。」

そして塔子は、
「サトル、そろそろ行くよ」と声を掛け、
サトルといっしょに、
塔子が運転する車で旅行に旅立つのでした。

あの、世間には、そういう塔子の態度、
そして行動を批判したり、怒ったりする人って、
いるでしょうね、たぶん、おおぜい。

でも、私の感想は、そうではありません。
塔子の態度も行動も、
そうなるのは「必然」であって、
塔子は「善人ぶって」自分を偽るような態度を、
全然してませんから、そこが評価できます、
私としては。

反対にですね、塔子の気持ちを察しようともせず、
塔子を批判する人こそ、魔性だと思います。

ところで、「魔性」の発音は「マショー」ですから、
そこからの連想で、「マショー」作曲、
「ノートルダム・ミサ」を聞きたくなりまして、
今、聞いてますけど、ほんとに良い曲ですねえ、
いつ聞いても、すばらしいと思います。

話を戻しまして、なぜ魔性かと言いますと、
「塔子を批判すれば」、
世の中の人から賛同を得られると思いますし、
社会的な見地から言って、塔子の態度は、
「非難される態度」だと思いますから、
そういう塔子を「自分も」非難してもですね、
自分の社会的安全が脅かされないわけで、
そうなりますと、自分は「安全な立場に居て」、
堂々と「他人をやっつける」ことができるわけで、
あのう、他人を痛めつけたり、
他人にひどいことをしてもですね、
「容認されるだろう」という状況がありますから、
それを利用して他人を「いたぶることができる」、
そういう打算の下に、「無意識のうちに」、
他人を攻撃する黒い喜びが味わえるという、
そういうことだってあるわけでして・・・

何か今日は、すごい話になっちゃいましたから、
続きはまた明日ですけど、
パパは妻子をほったらかして身勝手をして、
でも、子ども(塔子)のほうは、
パパに誠意を尽くさなければならない、
・・・なんて状況を是とする人であったら、
そういう人こそ、
「人の苦しみなど眼中に無い」、
冷酷非情な人間だと思いますね、私は。


人の「苦しみ」に無関心でないという温情と幸福。

幸福を優先すれば

08-24,2017

夏(83)
今日の添付写真ですが、
花が、優しくおだやかな感じになってしまいました。
背景が白なので、白い花は特に目立ちませんね。

ところで、昨日の続きを書きますけどが、塔子は、
「パパなんか想像もつかないような、
やさしくて誠実な人、いるんだよ。」って言うんです。

まあ、そのとおりでしてね、世間には、
愛情深い男性っていうのは、いっぱいいると思いますが、
でも、そういう男性とは身近に接しない宿命の女性も、
いるわけでしてね、そういう宿命とか運命については、
私は、全く何も、言う言葉がありません。

それで、塔子のパパは、やさしさとか誠実さは、
「持ち合わせてない」人だと思いますけど、だからこそ、
世知辛い世の中をうまく渡り、世間の荒波をかい潜り、
社会的成功をかちえたのかもしれません。

あのう、世の中で「のし上がる」ためには、
優しい心、温かい心、親切さや穏やかさは、
かえって、そうなんですね、「かえって」仇になり、
「相手の幸福」を願うあまり、
「自分の利益と勝利」を目指す闘争にはじゃまになる、
・・・ってこと、ありますよね、ありますね。

まあ、そんなわけで、競争社会において、
闘争に勝ち残る為には、「相手の幸福」なんて、
考えてられないんですよね・・・ほんとに。

まあ、でも、「ある面が良い」と、
「別の面が悪い」っていうのは世のならいですから、
闘争本能むき出しで相手をガンガンやっつける相手に、
優しさや愛情を求めるなんてことは、それはもう、
最初っから無理でしょう。

話が飛躍気味ですから、塔子のパパに話を戻しますが、
彼は、人に対するやさしや誠実さの心を封印して、
競争社会を闘い抜いてきた人なのかも知れません。

そうだとすると、「やさしい人」や「誠実な人」は、
彼の目から見れば、「ダメな人」に見えるでしょう。
理由は、「闘えない」からです。

あのう、この続きをどう書いたらいいか、
私にはわからなくなってきました。
「やさしや誠実さ」は、幸福の根源なんです。
でも、そういう幸福の根源を否定してかからないと、
闘争に勝てないってことがありまして、
結局、人は、「何を求めるか」ってことでして、
闘争によって覇者を目指す人間には、
「人との親密な関係による幸福感」を味わう幸福は、
得られませんよね。
まあ、話が混乱しましたから、続きはまた明日。


私は、人と人との融和的で親密な関係や幸福優先です。



親の決定的影響

08-23,2017

夏(82)
TBS日曜劇場「ごめん、愛してる」に登場する、
塔子と父の話を続けますけど、
塔子はさらに続けて父に言います。
「私は、恋愛も結婚もしない。
 絶対に『泣く側』にはならない。
 でもさ、それじゃ、いつまでたっても、
 パパに勝ったことにならないんだよね。
 世の中にはさ、パパなんか想像もつかないような、
 やさしくて誠実な人、いるんだよ。
 だから、私、結婚します。
 結婚することにしました。」

さて、今日は、塔子が恋愛も結婚もしないって、
一時は、心を決めたことについて書きますけど、
父を見ていて、男とはそういうものだというイメージが、
塔子の心の中にできあがっていたのかも知れませんね。

あのう、人間社会に生きる全部の男性が、
父と同じであるかのように塔子は錯覚してましたけど、
でも、子どもというものは、自分の家庭しか、
・・・そうなんです、自分の家庭しか知りませんで、
自分の家庭の現実が、世の中全体の様子なんだって、
信じてると思いますからね、まあ、
塔子と同じようにですね、
「愛の無い」家庭で育った子どもというものは、
人の好意や愛情なんて、信じられなくなるっていうの、
当然なんですよね。

そこで、今日書きたいことですが、子どもにとっては、
親とか家族が「全世界」なんだってことでして、
つまり、家族の状況が「この世界」の現状であり、
「世の中」って、
家族関係と同じものだと勘違いしちゃいますし、
親とか自分の養育者の「個人的な特色」を、
「人」というものの一般的特色だと誤解するんであって、
つまり、人は誰もが、乳幼児の頃体験した人間関係を、
この社会全体の人間関係だと思っちゃいますから、
自分の養育に当たった親とか養育者の態度や行動を、
「人間」の一般的態度や行動だと誤解するわけですね。

ですから、親や養育者が「心の問題」を抱えてますと、
そういう「不健全」な態度や行動をするのが、
「人間」というものだと一般化して拡大解釈し、
「精神的に不健全な人間」に対する適応行動を、
いつも自分がとる態度や行動にしちゃうってことは、
「あたりまえ」だし、「普通」のことなんですよね。

それで、塔子は、男とか夫というものは、
女や妻を「泣かせ続ける」ような人間なのだと、
まあ、そういう感覚が強烈だったと想像します。

つまり、塔子の父は、塔子の人間観や人生観、
そして、塔子の男性関係や「生き方」そのものに、
重大・・・いや「決定的」な影響を与えたわけで、
それ、塔子の場合に限らずですね、
生まれて以来ずっと子どもといっしょにいる親は、
子どもの人間観、人生観、世界観を「決定する」、
超重要な働きをしてるってことなんですよね。

だからこそ、精神的に不健全な親、とりわけ、
魔性の心を持つに至った人が親になった場合、
子どもに与える害毒が「計り知れない」と思います。


世の中の現実はそうですが、自分の幸福は、それとは別。

浮気性の夫

08-22,2017

夏(81)
今放送中のTBS日曜劇場「ごめん、愛してる」の中に、
塔子という登場人物がいまして、私はずっと、
男性に対する塔子の態度や行動が疑問で疑問で、
世の中に「こういう女性、いるの?」って、
まあ、フィクションだから、「作られた人物像」と、
勝手に思ってましたけど、第5話を見て納得しました。

塔子は、サトルからの電話に、結婚をOKするんですよね。
それまでの塔子の態度からは想像もつかないことでして、
でも、塔子の父が入院してる病室のシーンで、
謎が解けました。

塔子は、重体で横たわっている父に言います。
「ねえ、聞いた?
 聞いてたよね。
 私、結婚するから。」
あのう、それ、サトルからの電話に出た
塔子の返事のことです。

続けて塔子は言います。
「ねえ、パパ、パパはさあ、
 いろんな女と次から次に浮気して、
 ママを家から追い出しちゃったでしょ。
 ママが毎日毎日、
 メソメソ泣いてたのを見てたから、
 私は絶対に、ああなるまいって思ったの。」

さて、塔子の言葉、この続きは明日書きますけど、
世間には、「浮気を繰り返す」っていうタイプの男性、
いるってことでして、ウ~ン、あのう、想像ですけど、
妻との愛情生活が楽しいし、
それで毎日うれしいっていう男性だったら、
他の女性を、ことさらに求める必要があるかなあ?
・ ・ ・ なんて考えますと、そうですねェ、
「女性」との関係に、何か、不満というか、
満たされないものを感じているのかも知れないし、
さらに根本的なことを考えれば、
女性との関係で、「真の深い愛情関係」を、
そもそも「結べない」という心の問題を持っていた、
・ ・ ・ と考えることもできるかと思いました。

そうだとしますと、Aさんが妻だったから、
うまくいかなかったんであって、もし、
Bさんが妻だったとしたらうまくいってた、
・ ・ ・ というわけじゃなくって、どんな女性であれ、
「妻」というものと「愛情関係を結べない」病気を、
心の深部に隠し持っていた男性ってこともまた、
ありうるという感じがしたことです。

それじゃあ、「妻」ではない女性なら、
うまくいくのかってことですけど、「妻」は身内で、
妻以外の女性は、まあ、一般女性ってことでしょうか。

関連して、親子関係の話ですけど、
「わが子」だから虐待するけど、
「よその子」にはひどいことをしない親っていうのと、
似たようなパターンかも?
・ ・ ・ っていうような気もしまして、要するに、
「身内」という「近い」関係の場では、
「特有の情緒反応」が起こってるのかも知れませんね。

まあ、それはそれとしてですね、話を戻しますと、
この社会、浮気をめぐる男女間の事件って、
いっぱい起きてるようですけど、そもそもですね、
「女性と愛情関係を結べない」心理的問題を、
男性側が持っていたとしたら、
「起こるべくして起きた」とも言えるのでは?

そして、「女性の愛が欲しい」気持ちは強烈なのに、
現実には「愛情関係が結べない」という男性が、
「別の女性となら」愛情関係が得られるかも?
・ ・ ・ っていう夢想のもとに、
次々と新たな女性を求めていくわけでしょうか?

話を戻しまして、子どもの虐待ってことなんですが、
「子どもを好きになれない、愛せない」って親が、
世の中にはいっぱいいますし、だからこそ、
虐待事件も起こってくるんだろうと思いますけど、
「子どもを愛せない」親がいるのと同様に、
「女性を愛せない」っていう男性もまた、
世間にはかなりの数、いるような気がすることです。


人を好きになれる、愛せることの幸せを思います。

自分を許せない

08-21,2017

夏(80)
今日の標題の件、それ、超重要事項だと思います。
あの、世の中には、他人を許せないって人、
いっぱいいると思いますけどね、たぶん、そういう人って、
「自分自身を許せない」んじゃないかと、私は想像します。

あの、「○○のような自分だからダメ」とか、
自分はこんな(いやな)ことをしちゃったと、
自分の態度や行為を責めて、結局、
自分の姿が「許せない」ってこと、あると思います。

それで、ほんとうは、「どういう自分でも」ですね、
ありのままに受けとめ、受けいれて、
こういう自分であっても許容できる、さらには、
そのような自分だけど、それでも好きでいられるって、
そういうのが幸福だと思うんです。

あのう、「他人」を許せるとしたら、あるいは、
他人を「許そうとする」なら・・・ですね、
その気持ちを自分自身に向けて、
自分自身が「ダメな人間」のように見えたとしても、
ありのままの自分を愛せるっていうのが、
いいなあと思います。

それで、親からさんざんにひどいめにあわされ続け、
親に対する怒りと憎しみが充満してあふれこぼれる、
そういう自分を反省して、
自分に対して残酷なことをした親であっても、
「許し、愛さなくちゃ」って思うとしたらですね、
私としては、その前にすることがあって、それは、
ひどい親を許し、愛するなんてことの前に、
親に対する怒りと憎しみを持つ現実の自分自身を、
嫌ってはいけない、否定してはいけないということで、
ですから、「親を許容できない自分」の姿を否定し、
自分のありのままの姿である「怒りの自分」を殺して、
空想上の「慈愛あふれる自分」を無理に演出するなら、
それは大間違いだし、それこそ、
「偽りの地獄」への道だと思いますね。

あの、ですから、別にねえ、親に虐待されてきた子が、
親に怒り、親を憎しみ、復讐しようとしたって、
それは、自然の成り行き、自然の気持ちなのであって、
そういう「ありのままの自分」を「否定する」するなら、
偽善の地獄に落ちることになると思うわけですし、まあ、
社会的にはねえ、子どもが親に対して反逆するなんての、
批判されるかと思いますけど、それはねえ、
「親は子を慈しむものである」という前提に立って、
だから、「子は親を大切にすべきである」って理屈も、
「成り立つ」わけでして、だいたい、社会関係において、
AはBを虐待したけど、BはAに誠意を尽くし、
自分を捧げなければならない・・・なんてことは、
ありえないわけなんですよね。

ところで、今日、こういう記事を書きましたのは、
TBSの日曜劇場「ごめん、愛してる」で、
あるシーンを見たからでして、そのことはまた明日。


自分を好きになることができる幸福を思います。

専制政治的家庭

08-20,2017

夏(79)
世の中には、わざと「不安や恐怖をあおって」、
相手に何かさせようと企図する人がいまして、
まあ、仮に、それが親だとしましたら、自分の子に、
「そんなことでは社会でやっていけなくなる」と、
本来は「不必要な」恐れを抱かせることによって、
子どもを「必死の思い」にさせ、それで、
「親の意図する道」を歩ませようとする手法っていうの、
よく見られることなんじゃないかと思います。

現在放送中の韓国テレビドラマ「火の女神ジョンイ」を、
連続して見てる私ですけど、登場人物の李江天は、
まさにそういう人で、ですから、息子の睦道は悲惨です。

睦道は、親の願望を満たせる自分になれない場合、
自分は親から承認を受けられないし、愛されないんだと、
もう、そういう思いで必死なんだと思います、心の中は。

関連して、私は、あるタイプの人を知っています。
その人、他人から何か「言われる」と、
「自分の考えとか思い」を「完全に引っ込め」て、
また、相手のその言葉が「妥当かどうか」など無関係に、
ただひたすら、「その人の意に添う」行動をするんです。

あの、「卑屈」とも言えるほど「自分自身を無視」し、
相手のことばかり大切にし、自分が不利になることでも、
自分が犠牲を払うことになることでも意に介さず、
「相手を立て」て、あなたの「言いなりです」という態度、
その態度を「見せつける」ように振る舞う面がありまして、
まるで、相手は王様、自分はしもべであることを強調する、
そういう雰囲気って、なんか、見ていてわかりますね。

でも、よくよく考えてみますと、その人もまた・・・ですね、
「処世術」を学んできたわけで、この社会で生きるには、
相手に利益を与え、自分は隷属する態度を見せなければ、
「抹殺されちゃう」という恐怖におびえてるみたいでして。

まあ、その人、「強権をふるう絶対者」の下で、
「おびえながら」生きてきたフシがありまして、
その人の親というか、まあ、その人の家庭というのが、
専制君主による絶対王政のミニチュア版みたいなもので、
その人、「息を殺して」耐え抜いてきたみたいですね、
生まれて以来の長~ァい人生を。

全く、世間にはいろんな家族があるもので、
ほんとにびっくりですけど、続きはまた明日にいたします。


家庭内に安らぎと融和があるのは、幸福ですよね。

認められない自分

08-19,2017

夏(78)
昨日書きましたように、今日は、
「根源的な不安や恐怖」ってことを、
ちょっと考えてみたいんですが、私の勝手な想像ですと、
「根源的な不安や恐怖」を抱くようになる人っていうのは、
「自分は相手から認められていない」という感覚や、
「好意を持ってもらえない、愛されない」という感覚を、
持たされるような環境に、永年、浸っていたからかも?
・・・って思うんですね。

あの、世の中には、子どもを好きになれないし、
ましてや、愛するなんてできるはずもない親って、
存外、数多くいるのかもしれないと思う私です。

それで、ある実話なんですが、一人の父親が言いました。
「親は、子どもを愛するものである。」と。
でも、その次が重要な発言なんです。
「私も親なんだから、子どもを愛している。」と。

いやあ、すごいです、すごいです、その父親の発言、
・・・私は脱帽です。(もちろん、ブラックジョークです。)

人に好意を持つことができないし、
愛することができないタイプの人って、
世間には多数いると思いますけど、実は実は、
自分を好ましく感じてないし、自分を愛することだって、
「できない」んだと思います、そういう人は。

もっと言えば、自分自身を嫌い、憎しみ、
自分のことが「嫌になっちゃってる」人もいるでしょうし、
そういう人がですね、他の人に好意を持ち、愛するなんて、
できるでしょうか?
・・・もちろん、自分の子に対してもです。

まあ、そんなわけで、自分の子が好きになれないし、当然、
子どものありのままの姿を「承認する」なんて、
「できるはず無い」親もいるのが、世の中の現実と思います。

特に・・・ですね、子ども時代に自分の親から、
「そういうことではダメ」と、ダメ出しされ続けて成長し、
「否定される自分」しか体験してこなかった人がですね、
社会の中で、他の人と楽しく交流できるようになれるとは、
私には思われませんし、自分の子どもが自由奔放に、
人生を喜び楽しむ姿を「喜べるか」って言いましたら、
とんでもない、そういうわが子の姿を見たら怒り心頭、
そういう我が子だったら「つぶしにかかる」でしょうね。

いやあ私も、すごいことを書いてますけど、でも、
世間にしばしば見られる実態ですから、ご容赦ください。

それで次回は、「認められない自分」そして、
「好意を持ってもらえない自分、愛されない自分」という、
超惨めな意識を持ってしまった子どもや青年は、
どうなってしまうのか・・・なんてこと、
考えてみたいと思います。


人々の中で「認められる」自分、「愛される」自分は幸福。

不安や恐怖を去る

08-18,2017


夏(77)
世の中には、「恐怖を利用して人を操る」ってこと、
ありますけどね、そういうの、悪魔の手段だと、
私は思いますし、「やってはいけない」ことですね。

いやあ、「恐怖の利用」って、人を動かすのに、
ほんとに効果絶大ですけどね、でも、
恐怖にとらわれたら、人はどうなるの?
・・・ってこと、考えなくちゃ。

それで、昨日は、親とか学校の先生が、恐怖を利用して、
子どもや児童生徒を「思いどおりに動かそう」とすること、
ちょっと書きましたけど、
そのようにされた子どもや青年の「心理的な」被害って、
ものすごく大きいと思うんですけど。

あのう、この社会って、
「一人では生きられない」というのは事実です。
でも、「親(とか先生)の言うことを聞かなければ」、
生きていけない人間になるなんてことは、ありえません。

でも、世間には、子どもを「意のままに操りたい」ために、
親の自分がいなければ、子どものおまえは、
「生きていけない」んだと「思わせる」ような、
心理操作をする親っていうのがいると思いますし、
そういう親のたくらみに引っかかって、
自分自身で生きる能力を「身につけられなかった」り、
世の中で生きる自信が無いような子ども(や青年)が、
できちゃうと思います。

そして、そういう状況が発生するのは、親の側にですね、
深刻な心理的問題があるからでして、「問題を抱える親」が、
自分の子どもを「利用して」、
「困った状況にあり、生きにくい」自分の根源的な不安を、
一時的にでも忘れられるようにしているのではないか?
・・・なんて想像もするんですけど、
私の興味関心は心理的な原因追究なんかじゃなくって、
「幸せからほど遠い」心の現状から抜け出して、
平安と喜びを得て、人との交流を楽しめる幸福な心境に、
誰もがなれることなんですね。

まあ、そうなりますと、
根源的な不安や恐怖からの脱出ってことが、
大切になるんでしょうかね。

・・・とすれば、根源的な不安や恐怖ってこと、
ちょっと考えてみたいと思いまして、それはまた明日。


不安や恐怖があったら、幸せなんて感じられないのでは?

脅して恐れさせ

08-17,2017

夏(76)
今日のニュースに、次のようなのがありましたから、
私が気になった部分だけ抜き書きします。
__________

児童虐待、過去最多12.2万件 5割が「心理的虐待」
8/17(木) 13:03配信  朝日新聞デジタル

児童相談所が対応した児童虐待の件数

虐待の種類別だと、暴言や脅しなどで、
「心理的虐待」が6万3187件で最も多く、
全体の51・5%を占めた。
________________

あのう、現代日本のひどい状況が見えるようでして、
「幸福」をテーマとするこのブログでは、
見過ごせない問題です。

さて、昨日の続きなんですが、
今このブログで書いてるのは、結局、
「心理的虐待」の問題なんですよね。

そこで、「心理的虐待」の中でも、
「勝ち抜かなきゃ」世の中に生きていけないんだという、
不安と恐怖を子どもに与えている親とか先生ってことを、
ちょっと書いてみたいと思います。

そして、そういう虐待に走るってことは、
大人自身が、誤った思いにとらわれてるんだろうと、
私は想像しますし、また、そういう人の実例も、
私が知ってる人の中には、います。

それで、子どもが「競争に勝ち抜くように」ですね、
それこそ叱咤する親っていうの、話にも聞きますし、
子どもを「正座させて」叱りつけたと語っている親を、
見たこともあります。

まあ、もっと程度が進みますと、ただ叱るだけじゃなく、
「こんなことでは、将来、社会で生きていけない」と、
「恐怖を煽って」必死の思いにさせようとする親もまた、
いますね、世間には。

あのう、学校の先生にもそういうタイプの人がいまして、
ある進路指導の先生ですけど、良い学歴が無ければ、
人に伍して生きていくことができないで、
人生の落伍者となり、
惨めな人生を送るしかないんだっていうようなことを、
男子生徒に言ってる(私には脅してると見えましたけど)、
そういう先生を見た経験があります。

さて、人を動かすのに「恐怖を利用する」というのは、
手っとり早い上に、ものすごく効果があるわけですけどね、
でも、それは「劇薬」でもありまして、つまり、
弊害・・・というか、副作用が大きいんですよね。


まあ、そういうこと、続きはまた明日にしたいと思います

脅して恐れさせ

08-16,2017

夏(75)
昨日の続きですけど、
「勝ち抜かなきゃ」世の中に生きていけないんだという、
誤った思いにとらわれてる人っていうのが、
いるんだっていうことを、私は、実例で知ってます。

それで、子どもが「競争に勝ち抜くように」ですね、
それこそ叱咤する親っていうの、話にも聞きますし、
子どもを「正座させて」叱りつけたと語っている親を、
見たこともあります。

まあ、もっと程度が進みますと、ただ叱るだけじゃなく、
「こんなことでは、将来、社会で生きていけない」と、
「恐怖を煽って」必死の思いにさせようとする親もまた、
いるようですね。

あのう、学校の先生にもそういうタイプの人がいまして、
ある進路指導の先生ですけど、良い学歴が無ければ、
人に伍して生きていくことができないで、
人生の落伍者となり、
惨めな人生を送るしかないんだっていうようなことを、
男子生徒に言ってる(私には脅してると見えましたけど)、
そういう先生を見た経験があります。

さて、人を動かすのに「恐怖を利用する」というのは、
手っとり早い上に、ものすごく効果があるわけですけどね、
でも、それは「劇薬」でもありまして、つまり、
弊害・・・というか、副作用が大きいんですよね。


まあ、そういうこと、続きはまた明日にしたいと思います

勝ち抜かなきゃ?

08-15,2017

夏(74)
韓国テレビドラマ「火の女神ジョンイ」の中に、
すばらしいセリフがありました。
「器を作るのが喜びだから作る」
・・・というような意味の言葉です。

あのう、「学習」することもまた、そうなんですよね。
「知る」ことの喜び、「わかることの喜び」があるから、
学習するんです。

でも、今の日本社会で学校の様子を見ますと、
どうも、そういうことにはなってないように思いますが、
しかし、このブログの本題から外れますから、
「火の女神ジョンイ」の話に戻しますけど、李江天は、
磁器製作の喜びなんかじゃなく、
官窯である司饗院分院のトップという、
「地位」が欲しい・・・というか、それが目的でして、
ああ、でも、今の日本だって、
「学びたい」ものがあるから大学に行くとかじゃなく、
○○大学卒業という、世間の人がうらやむ学歴が、
実は、真の目的になってるってこと、ありますよね。

それは、「親のほうが」ですね、
「子どもを○○大学卒にしたい」というわけで、
「親が」必死になってる構図って、ありませんか?

それで、必死になる理由なんですけど、
世の中で「勝ち抜かなければ」満足には生きられないと、
とんでもない思い違いをしてるんではないでしょうか。


この続き、また明日にしたいと思います。

自信が無い不幸

08-14,2017

夏(73)
「火の女神ジョンイ」という韓国テレビドラマに登場する、
李江天と、その息子、睦道のこと、昨日も書きましたけど、
あのう、そういう父子関係って、現代の日本社会でも、
しばしば見られるんじゃないかと思いまして、その上、
親子とも不幸に陥る可能性が非常に高いと思いますから、
幸福について書くこのブログでは、
取り上げなくちゃ・・・って思いました。

世の中には、「ほんとは」自信が無いし、
生きていく上での「恐怖」を、無意識のうちにですけど、
心に抱えている人がいて、特に男性ですと、
社会の中で「他人と渡り合って」生きる場面も多いので、
まあ、そうなりますと・・・ですね、
かえって「強がる」態度に出る人もいるわけでしょうネ。

それで、「自分の評価」が気になるタイプの、
「実は弱い人間」って、「自信がなく、惨めな自分」を、
世間の目から「隠し通す」ため、それはもう、
必死の努力をするのかも知れません。

でも、能力的に「他に抜きん出る」自信が無い場合、
ドラマの李江天のように、競争相手を挫折させる謀略に、
打って出るような例って、世の中にはいっぱいありますね。
李江天なんか、競争相手を殺すとか、その他の謀略を。

また、李江天は、「自分の偉大さ」を守るため、
子どもの睦道にも、他人より絶対抜きん出ることを、
強要するわけでして、今の世の中の多くの親たちがですね、
学校では子どもが優秀で、世間の人にうらやまれる進学、
そして就職、さらに、社会的にすごいと思われる職業、
そして、地位や肩書きを得るように求める気持ちとですね、
同じだなあと思うんですけど。

でも、そういうのって、実は、
「親の欲」を子どもに押し付けてるだけでして、決して、
子どもの幸福を念願してのことではないということは、
ハッキリしてると思います。

まあ、この続きはまた明日にしますが、悲惨なことにですね、
世間では、そういうのを、「親の愛情」みたいに、
勘違いしてる現実が蔓延してるってことですね。


今の、この、ありのままの自分が好きでいられる幸福。

引け目を感じる

08-13,2017

夏(72)
おとといは、自分がすばらしい人間みたいに、
他人からは見えるよう、
虚飾の自分を偽装する人のことを書きまして、
昨日は、偉ぶる人について書きましたけど、
結局、そういう人って、自分に自信が無いというか、
心の深いところでは自分が「ダメ」だと思っていて、
でも、そんなふうには自覚したくないものですから、
「自分は偉い」みたいに見せようとするんでしょうね。

あの、社会集団におきましても、
自分たちは他の集団に「劣る」んだという、
「認めたくない」感情がありますと、
自分たちの集団が、
他の集団より「すばらしいんだ」ものなんだという、
誤った評価を下すことがしばしばありまして、
それ、過大評価というか、誇大な妄想なんですけど、
まあ、そういうことが「個人」でも起こりまして、
その人自身も意識できないような心の深部に、
「自分は、他人に及ばないんだ」って感覚がありますと、
全くその反対にですね、自分は優秀この上なく、
どこにもいない、すばらしい人間だっていうような、
「誤った」思いを持っちゃう人もいるみたいでして、
そういう人の「お相手」をするハメになりますと、
もう、たいへんだと思いますね。

でも、世の中、所属する集団が選べない場合も多くって、
たとえば職場とか・・・ですね、もっと悲惨なのは、
親がそういうタイプの問題を抱えてる場合ですね。

それで、このブログで書いてきました韓国テレビドラマ、
「火の女神ジョンイ」ですけど、登場人物の李江天は、
自分が偉くなければ気がすまない人で、
ですから、その息子、睦道は、
ほんとにたいへんだと思います。

・・・と言いますのは、「自分は偉い」と錯誤してる親が、
子どもに対してもですね、
世間の人から褒めそやされる子でなければならないと、
子どもに「圧力をかけてくる」って場合も多いわけで、
そうなりますと、子どもの悲惨さがすごいと思いますけど、
続きはまた明日。


そのままの、ありのままの自分が好きでいられる幸福。

楽しく交流

08-12,2017

夏(71)
人と楽しく交流できることは、大きな喜びだし、
幸福の根本だ・・・っていうふうに、私は考えています。
あの、今日は、夏休み兼お盆ということで、
欧州から一時帰国した人と、私たちの仲間が集まりまして、
とっても久しぶりに、帰国したその人と会合ができまして、
喜びの時間を過ごす時間が持てましたこと、
ほんとに幸福な私でした。

まあ、その話はさておき、世の中には、
偉ぶってないといられない人っていうのが、
いるような気がしますけどね、どうでしょうか?

それで、男性の場合、そういう人は、女性からはですね、
嫌われやすいと思いますけど、では、なぜ、
自分が偉いところを見せつけなければならないのか?
・・・ってことを考えますと、世の中、
「能力無い」とか「ダメな人間」と見られたら、
社会的に立ち行かなくなるという恐怖みたいなものが、
心の中にあるからかなあ?・・・なんて想像します。

まあ、そうだとしますと、自分に「自信がない」人ほど、
偉ぶる態度に出る可能性が大きいかなあと思いますけど。

それで、相手がですね、
「自信が無い」ために「空威張り」してる時に、
「相手に合わせて」自分を貶め、「気に入られよう」って、
まあ、そうすれば「気に入られる」でしょうけど、でもねえ、
そういうタイプの人に気に入られましても、
どんな幸福があるのかなあ・・・って思いますね。

あのう、そういう人に気に入られましても、実際、
「幸福」はありえないんですよね。

でも、「幸福」を求めるのではなく、
「自分の利益や出世」を求める人が、
これから自分の利益や出世を狙う為の「投資」として、
「使えそうな」人物に「取り入る」としましたら、
腰を低くして、嫌な相手だけど近づくという手法は、
有効だと思いますね、私は。

あの、それで、今日書きたかったことですけど、
自分の利益のために、上の人に「取り入る」、
そのためにおべっかを使ったりすることは、それはねえ、
自分の「利益」にはなるんですけど、そのことと引き換えに、
人と「楽しく交流する」っていう幸福を、
犠牲にするってことでして、でも、利益や出世を願う人は、
もう最初から、人と人とが敬愛の心を持って交流する幸せ、
・・・なんてことは無視してる人ですからね。

最後に付け加えますが、昨日のブログに関連しまして、
「富と権力、そして名誉」を求める人がいたとしましょう。
そういう人が、「人と人とが敬愛しあう喜び」なんてのを、
「求めるか?」ってことなんですけど、言うまでもなく、
当然ですけど、そんなこと、眼中にありませんよね。

あの、「富と権力、そして名誉」を求める人は、
幸福とは無縁なんです ・ ・ ・ と言うか、
富、権力、名誉を求めるほど、
幸福は遠ざかっていくものなんですよね。


人と楽しく交流できることの喜びは、すばらしい幸せです。

救いがたい不幸

08-11,2017

夏(70)
今日、添付写真にした花は、
人為的に構成したものではありませんで、
昼顔が小紫(小式部)の枝に巻きついていたのを見つけ、
それを、「そのまま」切り取ってきましたから、
「つくりもの」ではなく、「ありのまま」です。

さて、世の中、他人の目からは「すばらしく」見えるよう、
虚飾の自分を偽装する人も多いと思いますけど、
今日は、「見せ掛けの自分」ということ、
考えてみたいと思います。

さて、私は茶の湯が好きなものですから、
茶碗にも興味がありまして、日本の陶磁器の歴史を見れば、
文禄、慶長の役後、連れてこられた朝鮮陶工によって、
日本各地で窯業が新たに始まり、発展しましたから、
韓国テレビドラマ「火の女神ジョンイ」を見ています。
もちろんそのドラマ、完全なフィクションですから、
フィクションの部分はフィクションとして見てまして、
でも、李氏朝鮮における窯業の状況がわかる点で、
私には、見て役立つドラマです。

ドラマの舞台に、政府直営の磁器製造所がありまして、
トップの役職が「郎庁」で、郎庁を務めるのが李江天ですが、
彼は、表面的には立派な人物に見せてるんですけど、
実は悪人・・・というより、私からは魔人に見えまして、
自分のライバルや邪魔な人間を暗殺しちゃうとか、
謀略を使って陥れるなど、もう、ほんとにひどい人間です。

その「わるだくみ」の程度がものすごいんですけど、
彼はまた、自分の長男、睦道をですね、
次期の郎庁に出世させたくて、とにかく必死なんです。

ところで、李江天に長男、睦道が生まれた時、妻が、
次のように言いました。
「弟や妹がいては、いけないそうです。
 弟や妹がいると、富と権力、そして名誉、
 そのすべてを奪われるそうです。
 はっきりそう言われました。」

さて、李江天は、職場の部下だった女性の蓮玉を、
懐妊させてしまいました。
そうしましたら、李江天は、部下の男を刺客として、
蓮玉の命を狙うんですね。
そして、ドラマでは、
蓮玉が死の直前に李江天の子を産み、
彼女が尊敬する上司(柳乙潭)に、
その子のことを託して死んでいくのでした・・・
(その時生まれた子が、ドラマの主人公、井です。)

それで、今日の話なんですが、ドラマのセリフで言えば、
「富と権力、そして名誉」ってことなんですけど、
世間には、もうそればっかり夢中で欲しがる人間って、
ここに書くまでもなく、いっぱいいまして、
それに加えてですね、欲しいものを得るためには、
極悪非道なことも平気でしちゃう人間っていうのがいまして、
そういう人間は、社会に害毒を流す輩だと思いますけど、
その人自身も、救いがたく不幸だと思います。

そして、そういう人間の話を、次回も続けたいと思います。


何が不幸かっていうことを知るのも、幸福への道程。

自分らしく

08-10,2017

夏(69)
昨日の続きを書きますけど、
世の中には、「親の欲求を満たす」役目を担わされ、
親の「言うとおり」でなければ許されなかった子どもが、
少なからずいると思う私です。

そういう子っていうのは、「親の意に反する」行動は、
「許されません」からね、そうなりますと、
もう、必死になって、何とかして、
親の歓心を買い、気に入られようとして、
非のうちどころのない「良い子」に育っちゃう例って、
世間には、よく見られることだと思います。

あの、そして、昔は「模範生」なんていわれた子になって、
その上、世間にうらやましがられるような学歴を得たり、
職業的にも、社会的に立派とされている肩書きや地位を得て、
金銭の面、財産の面でも申し分なく、
「すばらしそう」なんですけどね、
その人の心の内に分け入ってみれば、
ちっとも幸福じゃない・・・なんて現実、広い世間には、
数多くあるかなあと想像します。

あの、そういうの、不幸の原因は、
不自然で無理した生き方を自分に強いてきたところにある、
・・・のかもしれないと、私は推測します。

それで、子どもとか青年がですね、
「模範生」なんて賞賛される裏側には、
その人自身が、どれほど自分を押さえつけ、殺して、
「外部の基準に合わせてきたか」という、
鮮血が噴き出すような自虐の姿を見る私なんですが・・・

あの、「鮮血が噴き出す」なんて書きました時、私は、
昨日の添付写真の、虹の色を思い出してしまいましたが、
続きはまた明日ということで。


自分らしく生きられないのは、惨めだし、不幸ですね。

自分で解決するしか

08-09,2017

夕刻の虹
昨日の夕刻、陽が沈む直前の曇り空に虹が出ましたから、
添付写真にしました。
青空がちょこっと見えますけど、台風の変な天気でした。

そして、今はまだ朝なのに、もう、室温31度、
天気予報では、今年一番の暑さになるそうです。

さて、この世の中、人間もねえ、変になることがありまして、
急にねたみを受けたりして、幸福感が遠のくなんてことも、
あったりしますね。

あのう、みんなといっしょに喜べるようになんて気持ちで、
いつもどおり誠意を持って接してましても、
そういう自分の姿や、生き生きしてる様子が、
相手の人から「うらやましく見える」っていうようなこと、
あったりしますと、自分には落ち度が無くても、
相手から「悪く思われる」事態になったりしますから、
社会生活を送る上では、「思いがけないこと」っていうの、
ありんですね、やっぱり。

さて、「自分らしく生きる」ことと、
「他の人々と仲良く交流する」ことは、
ほんとに喜びだし、幸福なことだと思うんですが、
「相手の人」の「心理的な問題」によって、
自分がねたまれ、悪く思われるって事態になりますと、
対策が無いというか、
それは「相手の気持ち」の問題ですからね、
私としてはどうしようもないということでしょうね。

でも、世間には、相手をねたんだり憎んだりする人って、
いるわけでして、う~ん、それはね、
ねたんだり憎んだりする当人の「心の問題」ですから、
その人自身でなければ解決できない・・・ンでしょうねェ。

ところで、世の中には、子どもを虐待する親がいまして、
子どもとしては、「対策が無い」と思いますね、私は。

なぜなら、子どもを虐待しちゃう不健全な心を持つのは、
「親の問題」であって、親が抱えている心の問題を、
「子どもが解決してさしあげる」なんて不可能だからです。

でも、でも、「親が抱える心の問題」を、
子どもが親からぶつけられて苦しみ、そのため、
不幸の極で長年月を生きなければならない子どもって、
世の中にいっぱいいると思いまして、
「解決策」が思い浮かばない私としては、せめて、
親がですね、「自分の心の不健全さ」を自覚するという、
そのことを期待するしかないかなあ・・・って思います。

そしてまた、「心の不健全な親」はですね、
そのことを自覚して、「自分で解決を目指す」しかないし、
子どものほうもですね、「親の不健全さ」を客観視して、
親によって不幸に落とされ、結果として、
「不健全な心」にされてしまったことを明確に知り、
自分自身の力で心の健全性を得ようと努めるしか、
解決策は無いのかなあ・・・なんて思うことです。

それで明日は、「心の不健全な親」によってゆがめられた、
子どもの心について、ちょっと考えてみたいです。


悲惨な内容を書いてますが、心は晴れて幸福にいられます。

幸福な行為

08-08,2017

夏(68)
今日の添付写真は、冬瓜の花と虎杖の虫食い葉で、まあ、
「そんなもの」と言われそうですけど、私としては、
別に、華麗な花とか豪華な花が良いのだという価値観は、
持ってませんからね、土手の草むらなんかにある植物でも、
それなりに楽しめます。

さて、昨日は「幸福な行為」なんてことを書きまして、
それは、たとえば、人に対する好意や愛情とか、
人に喜んでもらいたい気持から行う行動なんですね。

そういう態度や行為っていうのは、世の中、
日々の日常生活でもたびたび見られると思いますけど、
でも、相手がそういう気持ちで行う行為だってことに、
「気付かない」人も、世間には多いかと思います。

ところが・・・ですね、相手の人を「いじめたい」とか、
「やっつけたい」という気持ちの人がいますと、
そういう人は、自分に対して、相手の人がですね、
自分に対する好意を示しても、愛情を示しても、また、
自分が喜ぶような行為を相手がしてくれても、
そういう気持ちを素直に受け取れないというのは、
あまりにも当然というか、必然だと思います。

あの、そこに、ものすごい不幸がありまして、世の中、
金銭財産に恵まれ、高い地位や立派な肩書きを持ち、
また、社会的に評価の高い立場にいて、見かけだけは、
すばらしく輝いてるように見えましても、実は実は、
精神的に、ひどい憂鬱を抱えるような人だって、
実際に「いる」んですけどね、でも、世間の目からは、
個人的な「心の憂悶」なんて、見えませんし、あの、
それどころか、「外見」が「立派な人」に見える場合、
そのその当人は、自分を偽って、世間の人に対しては、
輝くばかりの自分の「虚像」を見せつけるしかない、
・・・ってことがあったりするんですよね。

話がわき道に逸れてしまいましたけど、
今日書きたかったことは、
自分に対する好意や愛情、また、温かく親切な気持ちを、
相手の人が持っていたとしてもですね、
それを「感じることができない」し、また、
「受け取ることができない」っていう人が、
実際に「いる」っていうことでして、それはねえ、
ものすごく不幸なことだと思いますけど、
関連する話はまた、後日、書きたいと思います。


好意を受けても、気付けない不幸、受け取れない地獄。

人との関係で

08-07,2017

夏(67)
あの、以下に書きますことは、私の独断ですから、
ご意見が異なりましても、どうぞご容赦下さい。

私の個人的な意見としましては、幸福感というものは、
社会の中で、他の人との関係において、より充分に、
感じられるものではないかと思います。

でも、それ、「他の人とは関りなく感じる幸福感」を、
決して、否定するものではありません。

まあ、そんなふうに感じている私ですから、
自分が相手に持っている好意、愛情、敬愛の気持ち、
また、相手の人に「喜んでもらいたい」という気持ち、
そして、相手の人と仲良く、また、親密になれたら、
とってもうれしい・・・っていうような気持ちが、
今、仮に、「相手に通じない」としましたら、私としては、
幸福感が得られないってことになりましょうかね。

また、さらにですね、相手の人が私のことを、
疎ましく思い、嫌い、避けたいと思っていたり、その上、
私のことをひどいめにあわせたり、やっつけたいため、
私を攻撃し、私を殲滅しようと行動するなら、その時、
私の気落ちと悲嘆はどれほどのものでしょう・・・

あのう、それで、このブログにおいて、
何日か前に連続して書いてきました姑と息子の話、つまり、
姑が息子の妻を支配し、嫁いびりして、さらにですね、
息子も嫁(妻)いびりに加担させたという話ですけど、
その実例における嫁(姑の息子を夫とした妻)は、
全身全霊を尽くして、好意と愛情、真心のすべてを、
姑と夫に捧げたんですけどね、でも、姑と夫からは、
いじめを受け、ひどいめにあわされるばかりで、つまり、
虐待され続けたわけでして、そのことは・・・ですね、
妻の立場から言えば、夫と姑に対する好意と愛情、
真心なんて、全く、全然、120パーセント、
夫にも姑にも「通じなかった」ということでして、
そういうの、不幸も不幸、ものすごい不幸だと思います。

なぜなら、人に対する好意や愛情、
人に喜んでもらいたい気持ち・・・なんていうのは、
極楽世界に住む人の気持ちでしてね、それは、
幸福度100パーセントなんですよね。

でも、そいう気持ちを「受け取ってもらえない」、
その、「受け取ってもらえない」ということは、
つまり、好意や愛情、人に喜んでもらいたい気持が、
「ゼロになる」ってことでして、
ですから、そうなりますと、その嫁(妻)には、
「幸福」が感じられないし、幸福が訪れないことになります。

あのう、最高に「幸福な行為」をしましても、それを、
「相手に受け取ってもらえない」状況になりますと、
「幸福な行為」も、
「幸福な行為」にはならないということですね。

それで、この話、次回も続けて書きたいと思います。


人との関係で幸福が得られるのは、互いに幸福な時。

歓迎される

08-07,2017

夏(66)
昨日は、都合により、パソコンを使うことができず、
ブログを掲載することができませんでしたから、今日は、
昨日の文とあわせて二日分を掲載したいと思います。

まず、一つ目ですが、8月5日に放送された、
NHKドラマ「ひょっこ」なんですけど、みね子の父、実は、
すずふり亭のみんなにも、あかね荘の住人全員と大家さんにも、
すごく温かく迎えられ、歓待されるんですね。

あの、そういうことが、現実の社会にあるかって言いましたら、
めったに見られない光景かなあ・・・なんて思いましたけど、
だからこそ、ドラマの世界で見せてもらえるっていうの、
脚本家に感謝です、私は。
・・・あの、世の中、人と人との関係が、ほんとにほんとに、
そのようであって欲しいと願うからなんです。

さて、そのシーンを見ながら、私は思いましたけど、
自分が、他の人々から喜んで迎入れられ、好意を受けるって、
すごく幸せなことだっていうことです。

そして、大人だって、相手から自分が迎え入れられ、
好意を持って接してもらえるとしたら、うれしいわけですからね、
ましてや赤ちゃん、子どもなんかは、親とか養育者から、
自分の存在が喜ばれ、迎え入れられるってこと、それは絶対に、
必要不可欠、まさに、そうでなければならないんですよね。

ところが、現実を見ますと、世間には、
「親に望まれない子」なんていうのが、少なからずいまして、
まあ、その悲惨さ、子どもにとっては苦しさっていうのが、
どれほどか・・・と思うことですし、さらにまた、
親とか養育者から虐待を受け続けている子もいることでして、
それは不幸も不幸、不幸の極だと私は思うことですが、
関連することはまた、別の機会に書きたいと思います。

なお、今日二つ目の文は、夜に掲載したいと思います。


自分が迎え入れられ、好意を持ってもらえるのは喜びだし、幸福。

好意が届かない

08-05,2017

夏(65)
社会生活というのは、人と人との関係ですから、
「相手がどういう人か」ということによって、
「自分の行為」が喜ばれたり、その反対に、
悪く受け取られ、かえって怒りを買うなんてことも、
実際にありますからね、世の中、
ほんとに複雑だと思います。

ですから、「相手の喜びのために」、
良かれと思ってやったことでも、相手のほうは、
「自分をバカにしてるのか!」とか、まあ、
とんでもない受け取り方をされる場合がありまして、
その実例は省略しますけど、今日言いたいことは、
相手の人に対して、ほんとに好意を持って、
温かい気持ち全開で、相手の人を尊重してですね、
「喜んでもらいたい」気持ち120パーセントで、
心の限り相手に尽くしても・・・ですね、その相手が、
あなたを憎み、痛めつけ、いじめる気持ちだった場合、
あなたの好意、温かい気持ち、親切心、そして、
相手の喜びを自分の喜びとする気持ちなんてのは、
もう、完全に「伝わらない」ばかりか、かえって、
あなたがその人を馬鹿にし、貶めようとしてるように、
「誤解される」ってこと、世間には、よくありますね。

あの、卑近な例で言えば、
いっしょに楽しもうと思って、
ささやかな菓子なんかを会話の場に出しました場合、
「そんな子供だましの駄菓子で、
私を釣ろうとするのか!」・・・なんて、
とんでもない誤解を受けるような場合だって、
無きにしも非ずと思いますね、たとえばのことですが。

そういう場合ですね、想像するに、相手の人は、
「自分は偉い」んだから、「偉い人に対する扱い」を、
当然、自分は、「してもらわなければならない」ので、
自分に対して「下にも置かない歓待をしない人」は、
とんでもない非礼、失礼な人間であると、
そういう評価をする場合もあるだろうと思うんです。

あのう、「自分は偉い」と思ってる人と、
他人を「ひどく扱う人」や「虐待する人」には、
精神的な根っこの部分に、
同じ病根を抱えてる場合が多いと思いまして、
それが不幸の一大原因なんですけど、
そういう話はまた、おいおいと書いていきたいです。

それで、今日書きたかった結論ですが、
相手に好意を持ち、温かい気持ち全開で、
相手の人を尊重し、
「喜んでもらいたい」気持ちで相手に接しても、
そういう気持ちを「受け取ってもらえない」相手が、
世の中には、実際に「いる」んだってことでして、
そういう相手が流す害毒については、また明日、
続けて書いていきたいと思います。



相手に対する好意を、受け取ってもらえる喜びと幸福。